竹島

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Re: 鮮干博士新羅時‘武陵島’と呼んで

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/07/19 04:57 投稿番号: [16904 / 18519]
No.16894 の続きです。


鮮干博士は朝鮮後期の地図に描かれた于山島が竹嶼であることを認めていますが、朝鮮後期に描かれたこの地図とよく似た地図には竹嶼の位置に于山島が描かれています。
もしこの地図が新羅時代の認識を示しているのであれば朝鮮人は新羅時代から朝鮮後期にいたるまで一貫して竹嶼を于山島と認識していたことになります。となると安龍福と余地勝覧の于山島も竹嶼になってしまいます。

鮮干博士はこの地図が新羅時代から伝わった鬱陵島・独島地図であると解釈できる根拠を四つ挙げています。

一つ目は肅宗実録のナム・グマンの報告に「新羅圖此島亦有國名」とあるという点です。

肅宗実録
http://sillok.history.go.kr/inspection/inspection.jsp?mState=2&mTree=0&clsName=&searchType=a&query_ime=%E9%AC%B1%E9%99%B5&keyword=%E9%AC%B1%E9%99%B5

しかしこの文章は李氏朝鮮時代に描かれた新羅時代の小国の分布を示した地図の鬱陵島の所に于山国と書いてあったという意味だと思われます。

二つ目は現在存在しない島々が描かれている点ですが、存在しない島々がなぜ竹島=独島と言えるのか説明できていません。
三つ目は朝鮮時代、新羅から伝わった鬱陵島・独島地図が存在したという点です。しかしながらなぜ朝鮮時代、新羅から伝わった鬱陵島・独島地図が存在したと判断できるのか、その根拠を提示しない限り、朝鮮時代、新羅から伝わった鬱陵島・独島地図が存在したことをもってこの地図が新羅時代から伝わった鬱陵島・独島地図であるという主張の根拠とすることができません。
四つ目は独島に武陵島(新羅で独島を呼んだ名称)の地名を書いていない点ですが、独島に武陵島と書かれていれば確かに独島は武陵島であると判断できますが、書かれていないなら独島は武陵島と呼ばれていなかったという根拠にしかなりません。そもそもこの地図に竹島=独島が描かれていると判断した根拠はなんなんでしょうか。
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