観音島
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/05/02 09:07 投稿番号: [1619 / 18519]
半月城です。
鬱陵島のすぐ東にある観音島ですが、この島を代表する鳥 Ggak sae についてネット上で問い合わせたところ、さっそくアドバイスがありました。それによると Ggak saeは方言で、標準語は Seom saeというそうです。Seom saeを意訳すると島鳥になりますが、日本語では俗称カツオドリ、正式にはアホウドリと同じ属のオオミズナギドリというそうです。この島について、韓国語サイトにこう書かれてありました。
Ggak sae seom または観音島
http://www.tboom.co.kr/GoTravel/concent_view.asp?article_pk=5490&page=1
初期開拓民182名の命をつないだのが、ニンニク科の Myong i 草と動物性タンパク質を提供した Ggak saeであった。この Ggak saeが集団で棲息していたのが Ggak sae seomである。今は観音島と呼ばれている。
観音島
http://www.gbtour.net/Nadri/EsResource_view?p_resource_no=12024
北面 Seon chang(Seom mok,島の喉)前方、約 100mの海上に位置するこの島は、林野込みの高さ 100m、面積 21,600坪で、竹島のつぎに大きい島であり、Gkak saeが多く棲息したということから Gkak sae seomともいう。
ここには椿、ススキ、山菜である Bu ji gaeng i、ヨモギなどが多く自生する野生植物の天国であり、高さ 14m の天然洞窟2か所が穿たれており観音双窟とよばれる。
さて、観音島は昔も今も Ggak sae seomと呼ばれているうえに、上記のように野生植物の天国であってみれば、下條正男氏がこじつけるような、この島が石島と呼ばれた形跡はまったくありません。
なお、観音島と鬱陵島との間の 100m たらずの狭い水域は Seom mok すなわち「島の喉」と呼ばれています。これはその水域に両島の崖がせまって喉のような景観をなすことから命名されました。つまり、観音島は鬱陵島とほとんど一体同然に見なされていたわけです。こうしたことから勅令41号ではことさら観音島の名を明記せずに「鬱陵島全島」という表現に含めたとみられます。
以上のように、地理的な考察からも石島を観音島とすることが困難なので、塚本孝氏は石島の比定を避けたのではないかと思われます。やはり、石島を竹島=独島とするのは妥当なところです。
鬱陵島のすぐ東にある観音島ですが、この島を代表する鳥 Ggak sae についてネット上で問い合わせたところ、さっそくアドバイスがありました。それによると Ggak saeは方言で、標準語は Seom saeというそうです。Seom saeを意訳すると島鳥になりますが、日本語では俗称カツオドリ、正式にはアホウドリと同じ属のオオミズナギドリというそうです。この島について、韓国語サイトにこう書かれてありました。
Ggak sae seom または観音島
http://www.tboom.co.kr/GoTravel/concent_view.asp?article_pk=5490&page=1
初期開拓民182名の命をつないだのが、ニンニク科の Myong i 草と動物性タンパク質を提供した Ggak saeであった。この Ggak saeが集団で棲息していたのが Ggak sae seomである。今は観音島と呼ばれている。
観音島
http://www.gbtour.net/Nadri/EsResource_view?p_resource_no=12024
北面 Seon chang(Seom mok,島の喉)前方、約 100mの海上に位置するこの島は、林野込みの高さ 100m、面積 21,600坪で、竹島のつぎに大きい島であり、Gkak saeが多く棲息したということから Gkak sae seomともいう。
ここには椿、ススキ、山菜である Bu ji gaeng i、ヨモギなどが多く自生する野生植物の天国であり、高さ 14m の天然洞窟2か所が穿たれており観音双窟とよばれる。
さて、観音島は昔も今も Ggak sae seomと呼ばれているうえに、上記のように野生植物の天国であってみれば、下條正男氏がこじつけるような、この島が石島と呼ばれた形跡はまったくありません。
なお、観音島と鬱陵島との間の 100m たらずの狭い水域は Seom mok すなわち「島の喉」と呼ばれています。これはその水域に両島の崖がせまって喉のような景観をなすことから命名されました。つまり、観音島は鬱陵島とほとんど一体同然に見なされていたわけです。こうしたことから勅令41号ではことさら観音島の名を明記せずに「鬱陵島全島」という表現に含めたとみられます。
以上のように、地理的な考察からも石島を観音島とすることが困難なので、塚本孝氏は石島の比定を避けたのではないかと思われます。やはり、石島を竹島=独島とするのは妥当なところです。
これは メッセージ 1590 (hangetsujoh さん)への返信です.
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