朝鮮の官撰史料は信用できるか
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/01/23 21:14 投稿番号: [16153 / 18519]
半月城さんは、[ No.16102 ]において、次のように述べられています。
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朝鮮では古くから朝鮮の東海に二島あることが知られていました。二島とは欝陵島と于山島ですが、欝陵島は時には武陵島、蔚陵島など様々な名前で呼ばれました。両島は15世紀の官撰地理誌である『世宗実録』地理志にこう記されました。
于山と武陵の二島が県の真東の海中にある。
お互いに遠くなく、風日が清明であれば望見することができる。
新羅の時に于山国と称した。一説に欝陵島と云う。
その地の大きさは百里という。
欝陵島近辺には無数の岩や島がありますが、天候が清明の時にだけ望見できる島は竹島=独島しかありません。したがって、この文章における于山島は竹島=独島とみることができますが、その位置や大きさなどは記載されませんでした。
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この地理誌には、鬱陵島から見る独島は「風日清明則可望見」であるが、半島から見る鬱陵島の状況は記されていない。というのが半月城さんの解釈です。しかし、現代感覚では「鬱陵島から見る独島」よりも「半島から見る鬱陵島」が重要ですし、当時の地理誌フォーマットでも「半島から見る鬱陵島」の記載もれは許されません。すると、半月城さんは、この地理誌を書いた官僚がアホだったと言っているのでしょう。アホが書いた地理誌は、その内容を検討することなく却下するべきです。
1808年に発行された「萬機要覧」には、「輿地志云 欝陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」と記されています。これは、1770年の「東国文献備考」からの引用です。そして、この部分に関しては、下条氏から改ざん説が唱えられ、半月城さんが反論しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html#No.785
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(下条氏は、)于山島が松島であると考察した者は申景濬であり、それを『東国文献備考』ではさも『輿地志』からの引用であるかのように書いたのであり、これは『輿地志』の改ざんであると断言しました。
はたしてこの説は成立するでしょうか? 申景濬に引用された『輿地志』は、当時はもちろん実在し、知られていたことでしょう。そうした中で下條氏のいうような、容易に指弾されるような「改ざん」を学者がはたしておこなうでしょうか?
改ざんなどという発想は、下條氏ならではことではないでしょうか?
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この存在していないとされていた「輿地志」が近年発見されました。そこには、上記「于山則倭所謂松島也」の文言がありませんでした。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/index.data/shokun2007.9.pdf
すると、「萬機要覧」はソウル市内に在った「輿地志」を検討せずにその内容を引用したと認められます。この官僚もアホですね。このアホに鬱陵島の東を検証できる能力があるとは思えません。このアホが書いた萬機要覧は、その内容を検討することなく却下するべきです。
> take_8591さんは、領有権論争においては官撰史料が最重要であると理解されて、明治時代の官撰史料に対するコメントを書いたのでしょうか。
上記の様に考える私は、朝鮮の官撰史料を信用することが出来ません。
私には、同じ官撰史料であっても、日本地誌提要と世宗実録(の韓国流解釈)・萬機要覧を同列に論ずることはできません。
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朝鮮では古くから朝鮮の東海に二島あることが知られていました。二島とは欝陵島と于山島ですが、欝陵島は時には武陵島、蔚陵島など様々な名前で呼ばれました。両島は15世紀の官撰地理誌である『世宗実録』地理志にこう記されました。
于山と武陵の二島が県の真東の海中にある。
お互いに遠くなく、風日が清明であれば望見することができる。
新羅の時に于山国と称した。一説に欝陵島と云う。
その地の大きさは百里という。
欝陵島近辺には無数の岩や島がありますが、天候が清明の時にだけ望見できる島は竹島=独島しかありません。したがって、この文章における于山島は竹島=独島とみることができますが、その位置や大きさなどは記載されませんでした。
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この地理誌には、鬱陵島から見る独島は「風日清明則可望見」であるが、半島から見る鬱陵島の状況は記されていない。というのが半月城さんの解釈です。しかし、現代感覚では「鬱陵島から見る独島」よりも「半島から見る鬱陵島」が重要ですし、当時の地理誌フォーマットでも「半島から見る鬱陵島」の記載もれは許されません。すると、半月城さんは、この地理誌を書いた官僚がアホだったと言っているのでしょう。アホが書いた地理誌は、その内容を検討することなく却下するべきです。
1808年に発行された「萬機要覧」には、「輿地志云 欝陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」と記されています。これは、1770年の「東国文献備考」からの引用です。そして、この部分に関しては、下条氏から改ざん説が唱えられ、半月城さんが反論しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html#No.785
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(下条氏は、)于山島が松島であると考察した者は申景濬であり、それを『東国文献備考』ではさも『輿地志』からの引用であるかのように書いたのであり、これは『輿地志』の改ざんであると断言しました。
はたしてこの説は成立するでしょうか? 申景濬に引用された『輿地志』は、当時はもちろん実在し、知られていたことでしょう。そうした中で下條氏のいうような、容易に指弾されるような「改ざん」を学者がはたしておこなうでしょうか?
改ざんなどという発想は、下條氏ならではことではないでしょうか?
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この存在していないとされていた「輿地志」が近年発見されました。そこには、上記「于山則倭所謂松島也」の文言がありませんでした。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/index.data/shokun2007.9.pdf
すると、「萬機要覧」はソウル市内に在った「輿地志」を検討せずにその内容を引用したと認められます。この官僚もアホですね。このアホに鬱陵島の東を検証できる能力があるとは思えません。このアホが書いた萬機要覧は、その内容を検討することなく却下するべきです。
> take_8591さんは、領有権論争においては官撰史料が最重要であると理解されて、明治時代の官撰史料に対するコメントを書いたのでしょうか。
上記の様に考える私は、朝鮮の官撰史料を信用することが出来ません。
私には、同じ官撰史料であっても、日本地誌提要と世宗実録(の韓国流解釈)・萬機要覧を同列に論ずることはできません。
これは メッセージ 16140 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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