Re: 敗軍の将は兵を語らず
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/10/12 20:32 投稿番号: [15925 / 18519]
鬱陵島民は本当に全羅道出身者か?
韓国の主張によると、鬱陵島民は元々全羅道の出身で石を標準語のSokと言わずに、全羅道の方言でDokと発音するとし、そのDokの発音を漢字で当てはめると独(Dok)になったので、今日独島と呼ぶとしている。しかし、この主張は矛盾を含んでおり理論破綻している。以下に疑問点をリストアップする。
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石島=独島なんていかにも取って付けたような説明で馬鹿みたいですねえ。何で鬱島郡守は正式名称を使わず、独島なんて言ったのでしょうwww。
手元に何故か「暮らしのなかの技術と芸能」(平凡社)という本の写しがありますが、その中に次のような記述があります。
鬱稜島は1882年(明治15年)に開拓令が出され韓国人が定住するようになったが、それまで国家の空島政策により韓国人の定住がなかった。その定住の経緯を李永官氏(1921年生まれ)は次のように語っている。
鬱稜島の90パーセント以上の人が江原道、慶尚北道、慶尚南道から移住し
てきた人々である。全羅道からは機帆船、船を造るための材木を運ぶ目的で
鬱稜島へ来ていたが住み着く人はほとんどいなかった。(後略)
鬱稜島の住人が全羅道出身者が多いなんて根拠はあるのですかねえ。
まあ、いずれにしろ、当時の竹島に韓国の支配が及んでいなかったのは地図を見れば一目瞭然でしょう。
これは メッセージ 15922 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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