竹島

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『日本地誌提要』『大日本史』の松島竹島

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/08/08 22:28 投稿番号: [15715 / 18519]
明治初期に書かれた日本地誌の「松島竹島」の記事について述べます。

和銅の風土記につぐ日本全土の官撰地誌とされる『日本地誌提要』は、隠岐國島嶼の項に「又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡蘄浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町。」と記しました(No.15672)。この記事のある『日本地誌提要』「山陰道」(複刻, 臨川書店, 1982)は明治11(1878)年1月刊行となっていますが、明治7年8月刊の日本地理の教科書、南摩綱紀『内地誌略』に殆んど同じ表現があるので、隠岐國のこの項は1874年には成立していたと思われます。『内地誌略』は次で読むことができます。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006611&VOL_NUM=00003&KOMA=12&ITYPE=0

『日本地誌提要』は、1873年ウイン万国博出陳の天保図・伊能図から輯製した日本地図の説明として、紅葉山文庫・旧幕府昌平坂学問所の資料から、塚本明毅の下で河田羆らが編纂したのが始まりとされています(No.12262)。塚本明毅は、長崎海軍伝習所で学び、文久元(1861)年幕府が初めて派遣した外国奉行水野忠徳を長とする小笠原巡視に、田辺太一らと共に加わり、母島とその離島の現在と殆んど変らない正確な地図を作りました。1871年西周の後任の沼津兵学校頭取から太政官地誌課長となり、1872年地誌事業の傍ら「改暦の詔書」を書き上げました。

極めて有能なテクノクラートであった塚本明毅は、日本海西部沿岸地方の人々が竹島を日本領と信じ朝鮮からの抗議も受けずに渡航しているのを見て(No.15679)、寛永20(1643)年の林羅山『本朝地理志略』の例に倣い(No.10197)、至極当然の事として、「松島竹島」を隠岐國条に配したのかもしれません(No.15278)。半月城さんは『日本地誌提要』は竹島・松島を日本領としなかったと述べましたが(No.15674)、塚本明毅には、「松島竹島」を隠岐の属島とし、日本領とする意図があったと思います(Nos.15675, 15677)。

『大日本史』(1906年完成)は隱岐國の項に「別有松島、竹島屬之、(割注:隱岐古記、隱岐紀行、○按自隠地郡蘄浦、至松島、海上六十九里、至竹島百里四町、韓人稱竹島曰鬱陵島、巳曰竹島、曰松島、爲我版圖、不待智者而知也、附以備考、)」と記し、「松島竹島」を明確に隠岐の属島としました。これは、半月城さんがNo.15609で述べたように、長久保赤水の認識が色濃く反映していた水戸藩の見解を踏襲したからでしょう(No.15627)。

栗田寛から『大日本史』「国郡志」の校訂を委嘱された、邨岡良弼が著した『日本地理志料』(1903, 複刻, 臨川書店, 1966)の「隠岐國」条には、『大日本史』に基づき「別有松島竹島、松島距隠地郡蘄浦、在六十九里三十五町、竹島在百里四町 - -」とあります。しかし、彼は「別有松島竹島」の後に「屬之(隠岐)」とは書きませんでした。

塚本明毅と交友のあった大槻修二の『日本地誌要略』(1875)は、「松島竹島」の現状を次の様に記しました。「其(隠岐)西北洋中ニ、松島竹島ノ両島アリ、共ニ朝鮮地方ニ接近スレドモ、亦居民統屬ナク、各方ノ人、時ニ來リテ、海獵ノ場トナスト云フ、」。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006670&VOL_NUM=00004&KOMA=26&ITYPE=0

しかし大槻修二は、1886年の『改正日本地誌要略』では、「其西北海上ニ松嶋竹嶋ノ両嶋アリ、相隔ル殆一百里ニシテ、朝鮮ニテ蔚陵嶋ト稱ス、近來定メテ其國ノ屬嶋トナスト云フ、」と書き、朝鮮領との認識を示しました。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006672&VOL_NUM=00005&KOMA=17&ITYPE=0

明治初年、「松島竹島」は統属なき地との認識が一部にありました(No.15612)。1877年3月、日本の領域を定めるため内務省は、江戸時代の文書を調べ、「竹島外一島本邦関係無之」として、太政官に伺いました。吉田松陰は桂小五郎に安政5(1858)年7月11日次の書簡を送っています「竹島論、元禄度朝鮮御引渡しの事に付き六ヶ敷くもあらんと此の地にても議し申し候。- - 竹島・大坂島・松島合せて世に是れを竹島と云ひ、二十五里に流れ居り候。」(『吉田松陰全集』9巻, 岩波書店, 1939)。参議木戸孝允は竹島と松島を版図外とするも已むなしと考えていたでしょう。
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