島根県の最終報告書、舩杉氏への批判3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/01 22:40 投稿番号: [15631 / 18519]
陸上の里と区別するために、海里は「浬」と書かれることは周知のとおりです。ただ、明治初期には里が海里を意味したこともありました。しかし、奥原は140海里(259km)と70里をほぼ同じ距離にみていたので、70里は280kmになります。
これについては、なお人文地理学(歴史地理学)専門家のご意見を待ちたいと思いますが、それにより舩杉氏の信頼性や権威がどうなるか興味津々です。
話が多少わきにそれましたが、結論として、明治初期、国境画定部署であった内務省の認識、ひいては日本政府の公的な認識は、一貫して竹島と松島を日本の版図外とするものであり、両島の地理的理解は江戸時代の絵図から作成された「磯竹島略図」の空間認識を引き継いだものでした。
これは当然です。内務省は慎重に島根県の伺い書に書かれた竹島、松島の記述や「磯竹島略図」にもとづいて「重大事」を判断したのですから、同図の空間認識を引き継いだことはいうまでもありません。
他方、舩杉氏は「磯竹島略図」についてこう記しました。
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上記「磯竹島略図」の解釈についてであるが、以下のことが指摘できる。
①一連の文書では竹島外一島は日本領ではないとは書いてあるが、現在の竹島が朝鮮領であるとは書かれていない。現在の独島を韓国領であると日本政府が認めたという解釈は明らかに間違っている。日本領ではないと規定しただけである。朝鮮領であると証明するには、朝鮮側の史料で、朝鮮王朝が島を実効支配していた根拠を提示しなければならない(P155)。
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舩杉氏がここにいう「竹島外一島」が竹島と松島を指すのかどうか、かならずしも明確ではないようですが、ここではそれを「磯竹島略図」に描かれた竹島と松島、すなわち欝陵島と竹島=独島であるという理解で議論を進めることにします。
たしかに「公文録」や「磯竹島略図」には、現在の竹島=独島が朝鮮領とは記されていません。しかし、同省が竹島、松島を日本の版図外と判断するにあたり、元禄時代になされた朝鮮との外交交渉の記録を精査し、その時に日本が朝鮮国の竹島(欝陵島)領有権を認めた交渉結果をそのまま受けいれました。これは暗に内務省が竹島外一島を朝鮮領と認めたことを意味するのではないでしょうか。
また、舩杉氏は「朝鮮領であると証明するには、朝鮮側の史料で、朝鮮王朝が島を実効支配していた根拠を提示しなければならない」として、話を国際法へ飛躍させていますが、この主張は日本政府の主張にすら反するのではないでしょうか。国際法の専門家である芹田健太郎氏はこう記しました。
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日本の主張は、開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本で日本の領土と考え、日本の領土として扱い、他国がそれを争わなければ、それで領有するには充分であった、と認められる、というものである(注5)。
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この論理を朝鮮にあてはめるとどうなるでしょうか。太政官の版図外指令当時、朝鮮はやっと開国が緒についたばかりで、国際法で領土を云々するような時代ではありませんでした。その一方、当時の朝鮮では官撰史書の『萬機要覧』(1808)などでたびたび「欝陵 于山は皆 于山国の地 于山はすなわち倭がいうところの松島なり」と認識し、日本でもそれを争いませんでした。それどころか、日本では太政官が松島(竹島=独島)を朝鮮領と認識していました。朝鮮の竹島=独島領有根拠は、当時としては充分ではないでしょうか。
これについては、なお人文地理学(歴史地理学)専門家のご意見を待ちたいと思いますが、それにより舩杉氏の信頼性や権威がどうなるか興味津々です。
話が多少わきにそれましたが、結論として、明治初期、国境画定部署であった内務省の認識、ひいては日本政府の公的な認識は、一貫して竹島と松島を日本の版図外とするものであり、両島の地理的理解は江戸時代の絵図から作成された「磯竹島略図」の空間認識を引き継いだものでした。
これは当然です。内務省は慎重に島根県の伺い書に書かれた竹島、松島の記述や「磯竹島略図」にもとづいて「重大事」を判断したのですから、同図の空間認識を引き継いだことはいうまでもありません。
他方、舩杉氏は「磯竹島略図」についてこう記しました。
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上記「磯竹島略図」の解釈についてであるが、以下のことが指摘できる。
①一連の文書では竹島外一島は日本領ではないとは書いてあるが、現在の竹島が朝鮮領であるとは書かれていない。現在の独島を韓国領であると日本政府が認めたという解釈は明らかに間違っている。日本領ではないと規定しただけである。朝鮮領であると証明するには、朝鮮側の史料で、朝鮮王朝が島を実効支配していた根拠を提示しなければならない(P155)。
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舩杉氏がここにいう「竹島外一島」が竹島と松島を指すのかどうか、かならずしも明確ではないようですが、ここではそれを「磯竹島略図」に描かれた竹島と松島、すなわち欝陵島と竹島=独島であるという理解で議論を進めることにします。
たしかに「公文録」や「磯竹島略図」には、現在の竹島=独島が朝鮮領とは記されていません。しかし、同省が竹島、松島を日本の版図外と判断するにあたり、元禄時代になされた朝鮮との外交交渉の記録を精査し、その時に日本が朝鮮国の竹島(欝陵島)領有権を認めた交渉結果をそのまま受けいれました。これは暗に内務省が竹島外一島を朝鮮領と認めたことを意味するのではないでしょうか。
また、舩杉氏は「朝鮮領であると証明するには、朝鮮側の史料で、朝鮮王朝が島を実効支配していた根拠を提示しなければならない」として、話を国際法へ飛躍させていますが、この主張は日本政府の主張にすら反するのではないでしょうか。国際法の専門家である芹田健太郎氏はこう記しました。
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日本の主張は、開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本で日本の領土と考え、日本の領土として扱い、他国がそれを争わなければ、それで領有するには充分であった、と認められる、というものである(注5)。
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この論理を朝鮮にあてはめるとどうなるでしょうか。太政官の版図外指令当時、朝鮮はやっと開国が緒についたばかりで、国際法で領土を云々するような時代ではありませんでした。その一方、当時の朝鮮では官撰史書の『萬機要覧』(1808)などでたびたび「欝陵 于山は皆 于山国の地 于山はすなわち倭がいうところの松島なり」と認識し、日本でもそれを争いませんでした。それどころか、日本では太政官が松島(竹島=独島)を朝鮮領と認識していました。朝鮮の竹島=独島領有根拠は、当時としては充分ではないでしょうか。
これは メッセージ 15630 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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