竹島

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『高宗実録』と鬱陵島検察2(校正)

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/21 20:59 投稿番号: [1548 / 18519]
   王と李奎遠の芋山島認識にはすこし差があることが読みとれます。それを整理すると下記のようになります。
  王(3島認識)、鬱陵島(通称)=鬱陵島(本島)+芋山島+松竹島
  李(マクロ的に2島、ミクロ的に3島認識)、鬱陵島=芋山島、松竹島=松島+竹島

   単に鬱陵島というと、鬱陵島本島をさす場合と于山島など付属の島を含めていう場合のふたとおりあったことがわかります。つまり、于山島と松竹島は鬱陵島の付属扱いにされる場合がありました。一方、松竹島の名が登場したのはこのときが官撰史料では初めてではないかと思われ注目されます。
   1882年4月、李奎遠は東海の島についてあやふやな知識のまま鬱陵島検察に旅立ちました。帰京後、復命書『啓本書』を政府へ提出しましたが、そこに于山はこう記されました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   松竹于山などの島を現地に住む人たちは、みな近傍の小島をこれに当てている。しかるに根拠となる地図もなく、また案内の指標もない。晴れた日に高いところに登って遠くを眺めると千里を窺うことができたが、ひとかけらの石も一握りの土もなかった。すなわち鬱陵を于山と称するのは、済州を耽羅と称するごとくである(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   于山島=鬱陵島と信じこんで鬱陵島に来た李奎遠は、松竹島、于山島は鬱陵島近傍の小島であるという住民の話を聞いて、鬱陵島、松竹島以外に于山島が存在することを住民の伝聞という形で確認しました。王の3島認識は島に住む住民の証言で裏づけられたことになります。
   なお、文中に「耽羅」が登場しますが、済州島の別名である耽羅は高麗に吸収された耽羅国をさします。ここで注意すべきは、耽羅は国名であり島名ではありません。そうした事情は、新羅に吸収された于山国に似ており、于山は鬱陵島の別名になりました。それらを整理すると、この時代の認識は下記のようになります。

  耽羅国=済州島+近傍の小島
  于山国=鬱陵島+松竹島+于山島

   結局、李奎遠の復命書で于山島の名は確認されたものの踏査は行われず、その位置はあいまいなままでした。しかし、すくなくともこの島は松竹島と区別されていたことだけは確かです。とかく朝鮮の古地図で于山島は鬱陵島のすぐ東に描かれることが多かったため、于山島を現在の竹嶼島と混同しているのではないかと思われがちですが、少なくとも19世紀末ころはそうでなかったことがはっきりしました。一方、松竹島は後に韓国官報(1900)に掲載された竹島とみられます。
   なお、李奎遠が高いところから周囲を見渡して「ひとかけらの石」も見なかったことから、李奎遠は于山島の存在を認識していなかったと短絡的にとらえる人がいますが、それは下條式の飛躍というものです。
   その論法を推し進めると、単に見えなかったという理由で、李奎遠は出発前に認識していた松竹島の存在をも否定してしまったという結論になってしまいかねませんが、史料にそのような記述はもちろんありません。
(つづく)
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