下條正男氏の変説、竹島外一島(1)
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/01/27 20:18 投稿番号: [15346 / 18519]
半月城です。
拓殖大学の下條正男氏は「竹島外一島」の解釈でまた変説したようです。まずはその軌跡からみることにします。
明治政府が領土外と指令した「竹島外一島」について、下條氏は 2004年になってやっと長い沈黙を破り、否定的な考えをこう記しました。
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この太政官による審査は、十分とはいえなかった。「竹島外一島」の「一島」が、今日の竹島を指すのかそうでないのか、判然としないからである。もしその「一島」が今日の竹島だったとすれば、「本邦関係これ無き」というはずがない。佐田白茅の報告を考察した際と同じ議論で、今日の竹島を日本領とする「書留」がすでにいくつもあったからである(注1)。
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ところが下條氏は、昨年は一転して「外一島」を松島(竹島=独島)と認めました。同氏は、CSスカパー256ch「ニュースの深層、竹島問題 現状と今後の課題」('06.5.15)で30分以上熱弁をふるいましたが、そこで「日本の太政官が、竹島は日本の領土ではない、関係がないといっている」と語りました。しかも、明治時代に太政官の指令があったので、竹島=独島を日本の固有領土とするのは適切でないと語りました。明らかな変説といえます。
今回、その見解をさらに変えたようで注目されます。山陰中央新報はこう報じました。
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竹島・太政官決定文書で下條氏が新たな見解
日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、明治政府の最高機関だった太政官が「竹島(現在の鬱陵島)と、ほか一島は日本と関係なし」とする内容を記載した1877年の太政官の決定文書について、島根県が設けた竹島問題研究会の座長を務める下條正男・拓殖大教授が、政府が無関係とした中に、現在の竹島は含まれていない、とする見解を明らかにした。
・・・・・
下條氏は先ごろ開かれた研究会で、「太政類典」に収録されている太政官の決定に関する文書を示し、現在の鬱陵島を示す竹島と、松島の記述に着目。竹島に住む動植物などが紹介されているのに続き、隠岐諸島から竹島に向けた同一線上に松島という島があり、米子の商人の大谷家が越後(新潟県)からの帰りに日本海で遭難して漂着したのが、この島(松島)であった、と記していることを明らかにした。
だが、大谷家に関する文書では、漂着したのは現在の鬱陵島としており、下條氏は「太政官決定の文書にある竹島と松島は、ともに現在の鬱陵島のことが書かれている。当時の政府発行の地図には、現在の竹島の位置に何の記載もなく、竹島と松島が描かれていることから、太政官は、この二つの島は関係なし、としたにすぎない」と指摘。
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この見解は一見もっともらしく見えます。しかし、内容をよく調べると疑問がわきます。まずポイントは「太政類典」で大谷家が漂着したのが松島であったかどうかです。漂着の記事は添付文書である「由来の概略」に書かれましたが、その口語訳は下記のとおりです。
(つづく)
拓殖大学の下條正男氏は「竹島外一島」の解釈でまた変説したようです。まずはその軌跡からみることにします。
明治政府が領土外と指令した「竹島外一島」について、下條氏は 2004年になってやっと長い沈黙を破り、否定的な考えをこう記しました。
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この太政官による審査は、十分とはいえなかった。「竹島外一島」の「一島」が、今日の竹島を指すのかそうでないのか、判然としないからである。もしその「一島」が今日の竹島だったとすれば、「本邦関係これ無き」というはずがない。佐田白茅の報告を考察した際と同じ議論で、今日の竹島を日本領とする「書留」がすでにいくつもあったからである(注1)。
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ところが下條氏は、昨年は一転して「外一島」を松島(竹島=独島)と認めました。同氏は、CSスカパー256ch「ニュースの深層、竹島問題 現状と今後の課題」('06.5.15)で30分以上熱弁をふるいましたが、そこで「日本の太政官が、竹島は日本の領土ではない、関係がないといっている」と語りました。しかも、明治時代に太政官の指令があったので、竹島=独島を日本の固有領土とするのは適切でないと語りました。明らかな変説といえます。
今回、その見解をさらに変えたようで注目されます。山陰中央新報はこう報じました。
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竹島・太政官決定文書で下條氏が新たな見解
日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、明治政府の最高機関だった太政官が「竹島(現在の鬱陵島)と、ほか一島は日本と関係なし」とする内容を記載した1877年の太政官の決定文書について、島根県が設けた竹島問題研究会の座長を務める下條正男・拓殖大教授が、政府が無関係とした中に、現在の竹島は含まれていない、とする見解を明らかにした。
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下條氏は先ごろ開かれた研究会で、「太政類典」に収録されている太政官の決定に関する文書を示し、現在の鬱陵島を示す竹島と、松島の記述に着目。竹島に住む動植物などが紹介されているのに続き、隠岐諸島から竹島に向けた同一線上に松島という島があり、米子の商人の大谷家が越後(新潟県)からの帰りに日本海で遭難して漂着したのが、この島(松島)であった、と記していることを明らかにした。
だが、大谷家に関する文書では、漂着したのは現在の鬱陵島としており、下條氏は「太政官決定の文書にある竹島と松島は、ともに現在の鬱陵島のことが書かれている。当時の政府発行の地図には、現在の竹島の位置に何の記載もなく、竹島と松島が描かれていることから、太政官は、この二つの島は関係なし、としたにすぎない」と指摘。
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この見解は一見もっともらしく見えます。しかし、内容をよく調べると疑問がわきます。まずポイントは「太政類典」で大谷家が漂着したのが松島であったかどうかです。漂着の記事は添付文書である「由来の概略」に書かれましたが、その口語訳は下記のとおりです。
(つづく)
これは メッセージ 15233 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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