中井養三郎と橋岡忠重と韓国人海女
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/12/10 00:36 投稿番号: [15228 / 18519]
『水路雑誌』の文章起こしはちょっとあきたので一時中断します。
今夏、米子市立図書館所蔵の竹島資料を下記にアップロードしました。しかしアップロードしただけで何がどうかということは全く説明していませんでしたので、下記に記載します。
先ず、下記の写真ですが、12人の男は全て日本人男性です。韓国人女性4名は全て海女(あま)さんです。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/050.jpg
彼女達は昼間はアワビやわかめを採り、夜になれば焚き火して酒盛りの支度をしました。左から4番目の男性が橋岡忠重という人です。彼は隠岐島の西郷町の有力者でした。
中井養三郎は西郷町長でかつ漁業組合長でした。そして中井は竹島漁猟合資会社を設立して、島根県の許可を得て竹島で漁をしました。下記がその資料です。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/003.jpg
アシカ猟は当初はバンバン獲れていましたが、大正末期には激減してしまいました。漁猟会社の経営が先細りしたので、アシカの繁殖を図るため、6年間捕獲が中止されました。
そして中井から漁猟会社の経営権を引き継いだのが、冒頭で掲載した橋岡忠重です。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/001.jpg
で、捕獲が再開されたのが昭和8年。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/030.jpg
収入は800円、捕獲数8頭、支出が2042円(内人件費が13人で780円)。この年は赤字(800円-2042円=マイナス1242円)です。
翌年の昭和9年も赤字です。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/031.jpg
収入が2250円で、支出が2460円。
しかし昭和10年には好転します。この年は春と秋の2回行きました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/031.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/032.jpg
昭和10年春 収入4860円 支出3630円(内人件費が17人分で1900円)
昭和10年秋 収入4000円 支出2300円(内人件費が10人分で1000円)
春の収支決算書を見れば分かると思いますが、漁夫13人で1300円ですから一人当たりの給与は100円ですが、韓国人海女4名で600円ですから、一人当たりの給与は150円です。海女さんの力量は高く評価されていました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/
(後日転載予定)
next, coming up
1.国立国会図書館所蔵『水路雑誌』の文章起こし(一時中断中)
2.最新朝鮮全図を掲載予定
3.国立公文書館所蔵『文鳳堂雑纂』の文章起こし
4.中井養三郎から大韓帝国への編入願いを掲載予定
5.大韓帝国から石島に関する中井氏への回答
6.第67号 韓国松島北仮設望楼位置略図
7.第68号 韓国松島北仮設望楼位置図
8.第75号 竹島仮設望楼位置図
9.第168号 竹島仮設望楼建設物配置図
今夏、米子市立図書館所蔵の竹島資料を下記にアップロードしました。しかしアップロードしただけで何がどうかということは全く説明していませんでしたので、下記に記載します。
先ず、下記の写真ですが、12人の男は全て日本人男性です。韓国人女性4名は全て海女(あま)さんです。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/050.jpg
彼女達は昼間はアワビやわかめを採り、夜になれば焚き火して酒盛りの支度をしました。左から4番目の男性が橋岡忠重という人です。彼は隠岐島の西郷町の有力者でした。
中井養三郎は西郷町長でかつ漁業組合長でした。そして中井は竹島漁猟合資会社を設立して、島根県の許可を得て竹島で漁をしました。下記がその資料です。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/003.jpg
アシカ猟は当初はバンバン獲れていましたが、大正末期には激減してしまいました。漁猟会社の経営が先細りしたので、アシカの繁殖を図るため、6年間捕獲が中止されました。
そして中井から漁猟会社の経営権を引き継いだのが、冒頭で掲載した橋岡忠重です。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/001.jpg
で、捕獲が再開されたのが昭和8年。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/030.jpg
収入は800円、捕獲数8頭、支出が2042円(内人件費が13人で780円)。この年は赤字(800円-2042円=マイナス1242円)です。
翌年の昭和9年も赤字です。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/031.jpg
収入が2250円で、支出が2460円。
しかし昭和10年には好転します。この年は春と秋の2回行きました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/031.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/fishery/032.jpg
昭和10年春 収入4860円 支出3630円(内人件費が17人分で1900円)
昭和10年秋 収入4000円 支出2300円(内人件費が10人分で1000円)
春の収支決算書を見れば分かると思いますが、漁夫13人で1300円ですから一人当たりの給与は100円ですが、韓国人海女4名で600円ですから、一人当たりの給与は150円です。海女さんの力量は高く評価されていました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/yonago/
(後日転載予定)
next, coming up
1.国立国会図書館所蔵『水路雑誌』の文章起こし(一時中断中)
2.最新朝鮮全図を掲載予定
3.国立公文書館所蔵『文鳳堂雑纂』の文章起こし
4.中井養三郎から大韓帝国への編入願いを掲載予定
5.大韓帝国から石島に関する中井氏への回答
6.第67号 韓国松島北仮設望楼位置略図
7.第68号 韓国松島北仮設望楼位置図
8.第75号 竹島仮設望楼位置図
9.第168号 竹島仮設望楼建設物配置図
これは メッセージ 15221 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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