竹島

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Re: こういうことですか ?

投稿者: take_8591 投稿日時: 2006/11/28 07:09 投稿番号: [15202 / 18519]
>曖昧かつ不正確な古い記録では何とでも解釈できちゃうからね。

  そうですね。
  例えば、東国文献備考(1770年)に次のとおりです。
   ①興地志に云う
   ②蔚陵、于山皆干山国の地
   ③于山は即ち倭の所謂松島なり

  韓国領有派は、③が「興地志」(1656年)に掲載されていたと主張しています。

  しかし、林羅山が「本朝地理志略」(1643年)で「隠岐の海上に竹島有り」と朝鮮に伝えています(no10197)から、「于山は即ち倭の所謂松島なり」よりも重要な情報である「蔚陵は即ち倭の所謂竹島なり」も「興地志」(1656年)に掲載されていたと推定するのは合理性があります。この比較的重要性は竹島一件が一段落した1770年でも同じです。なぜなら、朝鮮は「竹島は朝鮮領である」との言質を日本から得ていないからです。
  とするならば、東国文献備考(1770年)に「蔚陵は即ち倭の所謂竹島なり」を転記しなかった理由の解明が必要です。この理由が判明するまでは、「于山は即ち倭の所謂松島なり」は「興地志」ではなく安龍福がもたらした情報であるとの仮説を否定することはできません。

  では、安龍福の于山島認識はどの様なものなのでしょうか。
  日本に残る供述調書には「竹島と松島の間は五十里」(2005/05/17付山陰中央新報)とあり、朝鮮に残る供述調書には「独島まで1日の行程」(no12631)とあるそうです。
  出所が分らなくなったのですが、隠州視聴合紀の1里は約2Km(海里?)だそうです。この前提で計算すると50里は100kmとなり、日本に残る供述調書では正確な位置認識を示しています。この正確な位置認識が朝鮮に帰ると「1日の行程」と曖昧なものに変わっています。これは不思議です。

  供述調書は、供述者の証言を記録したものではなく、供述者の証言から得た録取者の印象(伝聞)を記録したものです。この前提を置くと、「蔚陵、于山皆朝鮮国の領地」という安龍福の意味不明の発言を根気よく聞き取とった日本の官吏が「于山は即ち倭の所謂松島なり」との印象を持ったのではないでしょうか。この官吏の印象は、供述調書の共同作成者である安龍福にも伝わったものと推定できます。

  私の仮説は
  最初に日本の官吏が「于山は即ち倭の所謂松島なり」と考え、これが安龍福に伝わり朝鮮に帰ってからの供述となり、東国文献備考に掲載されるに及んだ。
  日朝2つの供述調書からは、于山島なるものが本当に存在すれば、それは松島であるとの日本の認識が認められ、日本の力を借りなければその所在確認ができない朝鮮の認識が認められる。
  というものです。
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