Re: 『公文録』の大谷家「図面」
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/07/09 10:13 投稿番号: [14725 / 18519]
何を仰りたいのかよく分かりませんが、私は「奥歯に物を挟」んでなどいませんよ。何度も申し上げたではないですか。島根県の提出文書に記されているのは現在の鬱陵島と竹島に他ならないと。
ですから、ご提示の地図の松島は現在の竹島ですよ。位置は相当にずれていますが。それはあくまで「現在の私たちの知識と目」で判断しての話です。さて、それが何か太政官の判断に関係するのでしょうか。
何度も申し上げたように太政官は竹島・松島を版図外としたのです。そしてそこに地理(位置)的な理解は伴わず、結局はアルゴノート・ダジュレーの位置までを版図外としたと考えうるということです。それは天城の調査や内務省の地図はもちろん、その他、文部省・陸軍の地図とも整合的に理解しうる、ということです。
太政官の認識は結局はその後の天城の調査の位置認識に収斂されると見るべきでしょう。以上、私の返事です。
私も半月城さんに質問させてください。
1.天城の調査と太政官判断の整合性をいかに図るか。
2.竹島・松島がアルゴノート・ダジュレーの位置で示されている内務省地理局「大日本府県分轄図」(1881)をどう考えるか。
以上、よろしくお願いします。
私にはそもそも半月城さんが、どうして太政官判断で「現在の竹島」を放棄したと考えうるのかよく分からないのです。「松島」はたしかに版図外とされましたが、それを「現在の竹島」に結びつける根拠は、島根県資料の松島が現在の竹島に相当すると「現在の目」で考えうること以外には何もないのではないでしょうか。
この時期は竹島・松島の位置的な理解に混乱があった時代です。江戸時代の二島認識が単純にそのままに適用されにくい部分があります。
繰り返しますが、島根県提出資料の二島の存在は、太政官によって現在の鬱陵島までの位置で考えられたのであり、それは天城の調査・三条実美の渡航禁止令の記述、内務省地理局の地図、その他の資料とまったく矛盾することはなしにつながってくるのです。
これは メッセージ 14724 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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