Re: >Re: 石島は観音島か
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/06/06 12:28 投稿番号: [14586 / 18519]
>>勅令では「石島」であり、大韓帝国皇帝は郡主に「石島」の管理を命じている。それが外国から奪取されたという一大事に、公式の「石島」と書かずに方言に基づく(らしい)独島と書いた報告を提出するものだろうか?
>郡守沈興澤は「
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寛裕の相を備え座蒲團の上に跪座し、白衣を着し、冠をつけ、長煙管を携え、傍なる机上に數部の簿冊あるのみ、簡単素朴頗る太古の風あり。」(奥原碧雲『竹島及鬱陵島』1907)と記されていますから、物事をテキパキと処理できる近代的な能吏ではなかったようです。その彼でさえ、管理を命じられた「石島」が日本に奪取されたという一大事に遭い、jaian918さんが述べられたように、勅令に拘らず、鬱陵島民が広く使っていた獨島と書き、取り急ぎ報告したのでしょう。
沈興澤が勅令に拘った形跡はありませんね。
当時の大韓帝國は勅令で公式に太陽暦を採用していましたが、彼はその報告書の日付に堂々と(勅令に反する)太陰暦を記していますね。
このことひとつを見ても、「石島」が「獨島」であるのか否かは別として、郡主が報告書をすべて勅令に従って書いたはずとする前提は成立しないことが分かります。報告書だけを単体で見た場合には、公式の「石島」と書く事も有り得ないとは言えませんが、「獨島」と書く事も有り得るとも云えます。
これは メッセージ 14577 (ararenotomo さん)への返信です.
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