竹島

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韓国のデタラメさの簡潔な明解な指摘①

投稿者: uyokujanaimonn 投稿日時: 2006/04/21 21:17 投稿番号: [13114 / 18519]
以下、櫻井よしこブログより借用いたします。

韓国民をこれほど熱くさせる反日感情、とりわけ強力な火元となる竹島問題。大統領も国民も、一体どんな理屈で竹島は韓国の領土だと主張するのだろうか。

竹島問題の第一人者、拓殖大学の下條正男教授は、竹島問題は問題自体を超えて、日本の歴史を学び、日本再生につなげていくべき課題だと強調する。

「主張の正否は別にして、韓国では竹島の歴史を学ばない国民はいない。翻って日本はどうでしょうか。とても韓国人には及びません。竹島は決して小振りの島の問題ではなく、国の在り方や歴史にどう対座するかの問題なのです」


改竄された歴史書

日本人よりもはるかに熱情を込めて竹島を見詰めてきた韓国は、日本が竹島を日本領土だというずっと以前の6世紀初めから竹島は朝鮮領だったと主張する。根拠は1770年に書かれた『東国文献備考』という書物だ。下條教授の解説だ。

「この文献の中の輿地考(よちこう)という一篇に、〈輿地志(よちし)に云う、鬱陵(うつりょう)、于山(うさん)、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり〉と書かれています。かつて日本は竹島を松島と呼んでいました。そして鬱陵島も于山国も512年に新羅に編入されましたから、竹島はそのときから朝鮮領だという理屈です」

問題はこの文献に登場する于山島が、本当に日本の松島、つまり現在の竹島なのかである。結論から言えば、干山島は竹島ではなかった。下條教授が説明した。

「韓国側の主張の根拠、東国文献備考に引用されている『輿地志』はすでに存在しません。当然、輿地志の記述が本当にそのようになっているのか否かは確認出来ません。そこで輿地考の底本である『彊界考(きょうかいこう)』を検証しました。するとそこには〈輿地志に云う。一説に于山鬱陵本一島〉と書かれています。つまり于山島も鬱陵島も同じ島だと書かれているわけです。重要なのは、この記述の後に彊界考を著した人物の私見として、〈而(しか)るに諸図志(しょずし)を考えるに二島なり。一つは則ち基の所謂松島にして、蓋(けだ)し二島ともに于山国なり〉と書かれていることです。元々の輿地志には干山島が松島であり、日本の竹島である等とは一切書かれていなかった。のみならず、于山島は鬱陵島のことだと記されていた。にもかかわらず、18世紀に著された彊界考の解説の中で于山島は松島だという主張が作られていったのです。それが『輿地考』で更に改竄されたのです」

つまり、512年から竹島は朝鮮領だったという主張は成り立たないのだ。韓国側の主張する最も古い歴史的根拠が改竄によるものだったと、文献を示して証明したのは下條教授が初めてである。事実に沿って検証するという意味で日韓両国にとって非常に意味深い。

それにしてもなぜ、改竄が行われたのだろうか。

「『東国文献備考』は1770年の編纂当初から、『記載するところ疎略』と批判され、杜撰さが指摘されていました。備考の編纂を命じた李朝の英祖(えいそ)が完成を督促したため、わずか5カ月間で、当時の文献や資料を種本に使って完成に至ったのです。余りに急いだために十分な検証も難しかったのではないでしょうか」

于山島が竹島であるとの主張は、安龍福という人物によって初めて展開された。彼は1693年、江戸元禄時代に鬱陵島に渡ってきた。その時日本人漁師に捕らえられ、隠岐経由で鳥取藩に送致されて取り調べを受けた。やがて朝鮮に送還されるが、3年後の1696年に再び隠岐に密航した。下條教授がこの人物を語った。<続く>
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