Re: 竹島一件と島根県伺書の島の同定
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/02/01 20:38 投稿番号: [12491 / 18519]
見直してみると以下の私の表現は適当ではなかったようです。(12387)
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太政官は「竹島=アルゴノート島」「松島=鬱稜島」と考えて二島を版図外と判断した。それは、元禄の竹島一件において、その時点(明治10年)で考えられた竹島と松島の両島を版図外としていたものと見なしたのである。
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松島を太政官が「鬱陵島」と考えたとするのは勇み足で私の考えを延べるに適切な表現ではありませんでした。「ダジュレー島」と書くべきだったかと思います。
要するに私の考えは元禄の竹島一件によって竹島=鬱陵島が日本領ではなくなったのであり、それを基として太政官は朝鮮付近と考えられた二島、つまりアルゴノートとダジュレー(あるいは可能性としては竹島[鬱陵島]と近辺付属の島嶼)を版図外とみなしたとする理解です。
つまり、竹島一件での認識(竹島放棄)と、太政官の認識(竹島・松島放棄)にはずれがあるのですが、このように考えてこそ「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」などの周辺資料とも整合性がとれるものと思っています。
>いや、太政官が「竹島一件では松島も放棄した」という認識だったとすれば辻褄は通るし、その可能性もあると思っているのですが、アヒルさんは#12387でそのようや明確な認識については疑問を呈していらっしゃいますね。
太政官が判断したこととして明確に言えることは「竹島・松島」を版図外としたということのみで、明確に「竹島一件で松島も放棄したとの認識があった」とまでは読むことはできないと思っています。
ただし、「外一島」の判断では竹島一件に基づいて松島も放棄する解釈にいたっています。これについて以前にこのように書いたことがあります。(12387)
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つまり、内務省・太政官には松島についての理解はほとんどなかったのではないか。そして、朝鮮の地としての鬱陵島までを版図外と考え、その地理的理解を前提として太政官が竹島一件を解釈し、明治10年の判断を下したのではないかという気もします。
はじめから竹島一件について竹島・松島の放棄があったというよりは、内務省・太政官は地理的な理解が先行した上の竹島一件における松島の解釈だったのではないかと。(竹島・松島をひとくくりとする考え方もあったことでしょう。)
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つまり、明治初期における地理的理解を前提としつつ竹島一件を解釈して「松島までを版図外とみなした」という感じで考えています。
>改めてお尋ねしますが、竹島一件の竹島をアルゴノート島に同定した状況で、ダジュレー島も朝鮮領だと太政官が考えたのはなぜなのでしょうか。
繰り返しますが、地理的理解であると考えています。つまり、当時の地図においては鬱陵島の位置に竹島と松島が描かれています。勝海舟の地図も同じく竹島・松島を朝鮮沿海に記しています。
竹島は竹島一件ですでに朝鮮のものとなりましたので問題ないとして、松島については竹島付属の小さな島嶼、あるいは朝鮮沿海の島として理解されたのではないかと考えます。その地理的理解が第一です。
あわせて、外務省の田邊太一の「聞ク松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ其実ハ朝鮮鬱陵島ニ属スル于山ナリ鬱陵島ノ朝鮮ニ属スルハ旧政府ノ時一葛藤ヲ生ジ文書往復ノ末永ク証テ我有トセサルヲ約シ載テ両国ノ史ニ在リ」という理解と共通する考え方も同時に想像できそうです。これが第二の理由です。
第三に竹島と松島をひとくくりで考える一括しての理解です。これは「外一島」というような表現にもうかがえるかもしれません。太政官の判断に松島は竹島付属という意識があった可能性があるかと思います。
こうした理由などから、あらためて竹島一件を解釈し、竹島外一島、すなわち竹島と松島を版図外としたのが太政官の判断であったのではないかと思っています。
ついでに申し上げれば、私が重視しているのは、その後の天城の調査において鬱陵島が松島と確定したこと、さらにその後、太政大臣が明治16年に渡航禁止令において鬱陵島を松島と規定している事実などです。
竹島一件から「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」、「外一島」、天城調査、太政大臣による渡航禁止令、そうした一連の流れの中で、糸のように細くつながってくるものがあるのではないかと考えています。
それは、ほぼ一貫して日本側は地理的に現在の鬱陵島までの位置までのみを明確に版図外と考えていた、ということではないかという気がしています。
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太政官は「竹島=アルゴノート島」「松島=鬱稜島」と考えて二島を版図外と判断した。それは、元禄の竹島一件において、その時点(明治10年)で考えられた竹島と松島の両島を版図外としていたものと見なしたのである。
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松島を太政官が「鬱陵島」と考えたとするのは勇み足で私の考えを延べるに適切な表現ではありませんでした。「ダジュレー島」と書くべきだったかと思います。
要するに私の考えは元禄の竹島一件によって竹島=鬱陵島が日本領ではなくなったのであり、それを基として太政官は朝鮮付近と考えられた二島、つまりアルゴノートとダジュレー(あるいは可能性としては竹島[鬱陵島]と近辺付属の島嶼)を版図外とみなしたとする理解です。
つまり、竹島一件での認識(竹島放棄)と、太政官の認識(竹島・松島放棄)にはずれがあるのですが、このように考えてこそ「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」などの周辺資料とも整合性がとれるものと思っています。
>いや、太政官が「竹島一件では松島も放棄した」という認識だったとすれば辻褄は通るし、その可能性もあると思っているのですが、アヒルさんは#12387でそのようや明確な認識については疑問を呈していらっしゃいますね。
太政官が判断したこととして明確に言えることは「竹島・松島」を版図外としたということのみで、明確に「竹島一件で松島も放棄したとの認識があった」とまでは読むことはできないと思っています。
ただし、「外一島」の判断では竹島一件に基づいて松島も放棄する解釈にいたっています。これについて以前にこのように書いたことがあります。(12387)
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つまり、内務省・太政官には松島についての理解はほとんどなかったのではないか。そして、朝鮮の地としての鬱陵島までを版図外と考え、その地理的理解を前提として太政官が竹島一件を解釈し、明治10年の判断を下したのではないかという気もします。
はじめから竹島一件について竹島・松島の放棄があったというよりは、内務省・太政官は地理的な理解が先行した上の竹島一件における松島の解釈だったのではないかと。(竹島・松島をひとくくりとする考え方もあったことでしょう。)
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つまり、明治初期における地理的理解を前提としつつ竹島一件を解釈して「松島までを版図外とみなした」という感じで考えています。
>改めてお尋ねしますが、竹島一件の竹島をアルゴノート島に同定した状況で、ダジュレー島も朝鮮領だと太政官が考えたのはなぜなのでしょうか。
繰り返しますが、地理的理解であると考えています。つまり、当時の地図においては鬱陵島の位置に竹島と松島が描かれています。勝海舟の地図も同じく竹島・松島を朝鮮沿海に記しています。
竹島は竹島一件ですでに朝鮮のものとなりましたので問題ないとして、松島については竹島付属の小さな島嶼、あるいは朝鮮沿海の島として理解されたのではないかと考えます。その地理的理解が第一です。
あわせて、外務省の田邊太一の「聞ク松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ其実ハ朝鮮鬱陵島ニ属スル于山ナリ鬱陵島ノ朝鮮ニ属スルハ旧政府ノ時一葛藤ヲ生ジ文書往復ノ末永ク証テ我有トセサルヲ約シ載テ両国ノ史ニ在リ」という理解と共通する考え方も同時に想像できそうです。これが第二の理由です。
第三に竹島と松島をひとくくりで考える一括しての理解です。これは「外一島」というような表現にもうかがえるかもしれません。太政官の判断に松島は竹島付属という意識があった可能性があるかと思います。
こうした理由などから、あらためて竹島一件を解釈し、竹島外一島、すなわち竹島と松島を版図外としたのが太政官の判断であったのではないかと思っています。
ついでに申し上げれば、私が重視しているのは、その後の天城の調査において鬱陵島が松島と確定したこと、さらにその後、太政大臣が明治16年に渡航禁止令において鬱陵島を松島と規定している事実などです。
竹島一件から「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」、「外一島」、天城調査、太政大臣による渡航禁止令、そうした一連の流れの中で、糸のように細くつながってくるものがあるのではないかと考えています。
それは、ほぼ一貫して日本側は地理的に現在の鬱陵島までの位置までのみを明確に版図外と考えていた、ということではないかという気がしています。
これは メッセージ 12489 (te2222000 さん)への返信です.
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