竹島(鬱陵島)と潜商事件2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/06/26 22:00 投稿番号: [10014 / 18519]
朝鮮通信使との会談において、朝鮮通信使から弥左衛門の処罰を要求されたわけでもなかったようですが、幕府がすすんで弥左衛門を捕えたのは、やはり竹島(鬱陵島)は朝鮮領であるという認識が前提になっていたとみられます。
一方、対馬藩の認識は史料のうえでもっとはっきりしています。同藩は、朝鮮政府が鬱陵島に空島政策をしいて4年後の1407年には、早くも朝鮮王朝に対し鬱陵島に家臣を率いて移住したいと申し入れたことが『太宗実録』に記録されました。
これに対して朝鮮王朝は、当時の対馬藩が九州探題と敵対関係にあることを理由にしてことわりました。
しかし、対馬藩は財政の柱になる米がほとんどとれないだけに、通商で生きるしかなく、その後も竹島(鬱陵島)に触手をのばし、朝鮮王朝を相手に領有を画策したようでした。幕府の『通航一覧』巻137にこう記されました。
「慶長十七 壬子年、宗対馬守 義智より朝鮮国 東莱府使に書を贈りて、竹島は日本属島なるよしを諭(さと)せしに、彼許さず、よて猶 使書往復に及ぶ」
慶長17年というのは慶長19年(1614)、光海君六年の誤りとされていますが、対馬藩の画策に対し、朝鮮王朝は断固とした態度で拒絶しました。その回答書を内藤氏はこう要約しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(磯竹島は)慶尚道と江原道の海上にある朝鮮の鬱陵島のことであり、『東国輿地勝覧』にも掲載されており、いまは荒廃しているが他国人に占拠される理由はない。
日本と朝鮮との境界は明確になっており、日本人が朝鮮に往来できるのは対馬を経由する一路だけであり、それ以外の来航は海賊と見なすということは、すでに約定した通りである(注3,P32)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
結局、対馬藩の画策はとおらなかったのですが、この画策は対馬藩が弥左衛門を捕えたわずか6年前なので、潜商事件当時、対馬藩は竹島(鬱陵島)が朝鮮領であることを確実に認識していたとみられます。
その認識がそのまま幕府の認識になっていたのか、幕府は弥左衛門を潜商の罪で捕えたものとみられます。
(注1)『隠州視聴合記』
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/inshuu_naikaku.pdf
(注2)『通航一覧』巻129
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/tsuukou_129.pdf
(注3)竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000
(注4)『通航一覧』巻137
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/tsuukou_137.pdf
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
一方、対馬藩の認識は史料のうえでもっとはっきりしています。同藩は、朝鮮政府が鬱陵島に空島政策をしいて4年後の1407年には、早くも朝鮮王朝に対し鬱陵島に家臣を率いて移住したいと申し入れたことが『太宗実録』に記録されました。
これに対して朝鮮王朝は、当時の対馬藩が九州探題と敵対関係にあることを理由にしてことわりました。
しかし、対馬藩は財政の柱になる米がほとんどとれないだけに、通商で生きるしかなく、その後も竹島(鬱陵島)に触手をのばし、朝鮮王朝を相手に領有を画策したようでした。幕府の『通航一覧』巻137にこう記されました。
「慶長十七 壬子年、宗対馬守 義智より朝鮮国 東莱府使に書を贈りて、竹島は日本属島なるよしを諭(さと)せしに、彼許さず、よて猶 使書往復に及ぶ」
慶長17年というのは慶長19年(1614)、光海君六年の誤りとされていますが、対馬藩の画策に対し、朝鮮王朝は断固とした態度で拒絶しました。その回答書を内藤氏はこう要約しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(磯竹島は)慶尚道と江原道の海上にある朝鮮の鬱陵島のことであり、『東国輿地勝覧』にも掲載されており、いまは荒廃しているが他国人に占拠される理由はない。
日本と朝鮮との境界は明確になっており、日本人が朝鮮に往来できるのは対馬を経由する一路だけであり、それ以外の来航は海賊と見なすということは、すでに約定した通りである(注3,P32)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
結局、対馬藩の画策はとおらなかったのですが、この画策は対馬藩が弥左衛門を捕えたわずか6年前なので、潜商事件当時、対馬藩は竹島(鬱陵島)が朝鮮領であることを確実に認識していたとみられます。
その認識がそのまま幕府の認識になっていたのか、幕府は弥左衛門を潜商の罪で捕えたものとみられます。
(注1)『隠州視聴合記』
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/inshuu_naikaku.pdf
(注2)『通航一覧』巻129
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/tsuukou_129.pdf
(注3)竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000
(注4)『通航一覧』巻137
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/tsuukou_137.pdf
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 10013 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/10014.html