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二人のボース

投稿者: shinkuuboakagi00 投稿日時: 2004/05/26 01:50 投稿番号: [7785 / 43168]
中村屋にかくまわれたのは、ビハリ・ボースのほうですね。


このビハリと知り合いになったのが京都大学に留学のため日本にやって来たナイル氏。銀座にある印度レストラン・ナイルの創始者です。やはり、カレーに縁があるようです。ここでは、2,3年前に韓カテの人たち数人とオフ会をやったことがあります。

もう1人がチャンドラ・ボースです。よりよく知られているのはこちらの人物のほうですね。ビハリよりも10歳年下です。

1940年に印度を脱出して、ベルリンにまでいたりますが、この目的が、ドイツに捕虜になった英軍の中の印度兵を組織して、反英闘争をおこなうことだったらしのですが、ヒトラーがあまり興味をしめさず、そのため、日本にやってくることになりました。

ドイツから潜水艦でマダガスカル沖までやってきて、日本の潜水艦に乗り換えてスマトラまでたどりつきました。この様子は、映画「プライド」の最初に出ていたと思います。嵐の中の乗り移りで、結構あぶなかったそうです。その後飛行機で日本にやってきました。

ビハリ・ボースとチャンドラ・ボースは印度国民軍の創設に関して争いがあったみたいで、ビハリの子分のナイルは、印度国民軍の創設の功はビハリにあるとしています。(知られざるインド独立闘争・ナイル)
この本は、チャンドラ・ボースの終戦直後の台湾での遭難についても推測をかいています。

オフ会のときに、ナイルのインド人の番頭がチャンドラよりも、ビハリのほうをうんとほめていたのは当然でしょうか。

ビハリは東南アジアで病をえて、日本に戻った後、1944年に没しています。ために、印度国民軍の指揮はチャンドラがとることになり、これで、彼の方が有名になったようです。


ビハリの1人息子は沖縄戦に加わり、戦死しています。娘さんがひとりいました。
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