剖棺斬屍とはちょっと違いますが
投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2003/12/19 15:48 投稿番号: [4241 / 43168]
司馬遷の史記
刺客列伝に
豫譲という刺客の話が出てきます。
今はない主の敵を討つために待ち伏せをします。
間抜けな奴でそのつど相手に見つかってしまうのですが、その相手も誇りを知った
人で、今なき主の義理に生きる豫譲を許します。しかしその豫譲もシツコイ(苦)
三回目だったかまた見つかり、さすがにもう許すわけにもいかず誅することになりました、
その相手は豫譲に最後の願いを聞き、豫譲はその際にその相手の着ている服を請います。
その相手も意気に感じているものですから服を与えます。
そして、豫譲はその服を地面にたたきつけ、その服に剣を下ろしたのです。
敵討ちの代わりというか、なんと言うか難しい行為ですが。
そして自害した。とこういったお話だったと思います。
話が前後しますが、その相手は義理堅い豫譲を身請けしようとまで言うのですが、
豫譲曰く
「士は己を知るもののために死し、女は己をよろこぶ者のために容づくる」
といって断ります。この言葉は有名ですよね。
わたくし、日本の武士道のルーツはこの辺りじゃないかと本気で思ってました。
どうなんでしょう。
それはともかく、中国の戦国時代という人文勃興の時代を卑小卑屈な朝鮮の
モノと対照させるのは気が引けましたが、剖棺斬屍という行為を聞き
そんなことを思い出しました。
これは メッセージ 4226 (type74jpanmbt さん)への返信です.
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