Re: >タロとジロ生還をリアルで見ていた
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2006/01/25 19:13 投稿番号: [32775 / 43168]
>というやりきれない感情は、消えることがなかったです。
>祭られている塚があると聞いたときには、ほっと安堵いたしました
靖国以外にもいくつかみつかりました。古くは馬頭観音も供養等のような感じです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/60gunyo/63kanto/ekoin40.html
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/60gunyo/65kinki/osaka_gokoku.html
やりきれないもの、やり場のないものを鎮めるためのものが塚であったり碑であったりするわけでありまして・・・
犠牲になったものたちへの感謝の意を示すことでなんとかやってきたように思ってます。
(外国での事情はわかりませんが)ヒト以外の慰霊碑がこんなに多いのは日本の特徴かもしれません。
先日人から聞いた話では養鶏場向けの雛運搬にかかわるトラック業界では雛の慰霊祭を年一回行っているとのことです。
(長距離輸送もあるので空調等どんなに注意しても・・雛ですから)
まだ建立されてから二十数年ですがバイオ関係者がお参りする微生物の塚もあります
↓「菌塚」
http://www11.ocn.ne.jp/~kinzuka/index.html
_________________________________
これのよに ゆかしきものは この君の 四恩のほかの 菌恩のおしえ
めに見えぬ ちいさきいにちいとおしみ み寺にのこす いわのいしぶみ
菌塚はとわにつたえめこの君の 菌いとほしむ たうとき みこころ(坂口謹一郎)
〜略〜
菌塚は これら物言わぬちいさきいのちの霊に謝恩の意志をこめて建てたものであるが、 同時に菌にかかわる人々が風光に勝れたこの地を 時折訪れて、
菌塚に話しかけ しばし頭をやすめるとともに、 菌類の犠牲に報ゆる仕事をなしとげることを めいめいが 約束できたら、いかにすばらしいかと思うものである。
__________________________________
>当時、越冬隊の方々への非難は大変なものがありました
白瀬隊の時も犬を置いてきたことでチャランケになってます。
(「チャランケ:査問」とかかれていますが、議論で是非をつけることを指すので「討論」+「公聴会」みたいな感じでしょうか)
↓「悲劇の歴史に思い寄せ 樺太アイヌと犬を慰霊」
http://homepage1.nifty.com/~hassy/Ochiho.html
__________________________________
〜略
山辺は花守と、犬ぞりに使う六十匹のカラフト犬を落帆などで集めた。探検終了時には二十六匹が生きていたが、暴風雪で船への収容が難航。「やっと六頭だけを乗せた。犬は遠ぼえに鳴いて見送った」(山辺の自叙伝)。残りの二十匹は南極に置き去りに。「船が離れるにつれて犬は悲しげにうなだれていた。花守はついにシクシク泣きだした」と白瀬は書いている。
旧樺太住民の言い伝えでは「山辺と花守は帰郷後、家族同然の犬を殺したとしてチャランケ(査問)にかけられた。村人は犬の慰霊碑を建てて供養した」〜後略
__________________________________
最初の探検はたいへんだったようで、最初出発した時は赤道越えるあたりで暑さに弱い樺太犬がほとんど死んでしまい続行できなかったとか、犬を連れてった人も辛かっただろうなと思います。
人間には人間の都合(事情)があり動物には動物の都合があり・・・
人と人にもそれぞれ都合がありで、さてその「都合」のすりあわせというか妥協点をどうするかってなのが「世間」の難しさでしょうか
(さてあまり考えると精神衛生に悪そうなので今回はこの辺でやめにしますです〜笑)
>祭られている塚があると聞いたときには、ほっと安堵いたしました
靖国以外にもいくつかみつかりました。古くは馬頭観音も供養等のような感じです。
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/60gunyo/63kanto/ekoin40.html
http://www.asahi-net.or.jp/~rn2h-dimr/ohaka2/60gunyo/65kinki/osaka_gokoku.html
やりきれないもの、やり場のないものを鎮めるためのものが塚であったり碑であったりするわけでありまして・・・
犠牲になったものたちへの感謝の意を示すことでなんとかやってきたように思ってます。
(外国での事情はわかりませんが)ヒト以外の慰霊碑がこんなに多いのは日本の特徴かもしれません。
先日人から聞いた話では養鶏場向けの雛運搬にかかわるトラック業界では雛の慰霊祭を年一回行っているとのことです。
(長距離輸送もあるので空調等どんなに注意しても・・雛ですから)
まだ建立されてから二十数年ですがバイオ関係者がお参りする微生物の塚もあります
↓「菌塚」
http://www11.ocn.ne.jp/~kinzuka/index.html
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これのよに ゆかしきものは この君の 四恩のほかの 菌恩のおしえ
めに見えぬ ちいさきいにちいとおしみ み寺にのこす いわのいしぶみ
菌塚はとわにつたえめこの君の 菌いとほしむ たうとき みこころ(坂口謹一郎)
〜略〜
菌塚は これら物言わぬちいさきいのちの霊に謝恩の意志をこめて建てたものであるが、 同時に菌にかかわる人々が風光に勝れたこの地を 時折訪れて、
菌塚に話しかけ しばし頭をやすめるとともに、 菌類の犠牲に報ゆる仕事をなしとげることを めいめいが 約束できたら、いかにすばらしいかと思うものである。
__________________________________
>当時、越冬隊の方々への非難は大変なものがありました
白瀬隊の時も犬を置いてきたことでチャランケになってます。
(「チャランケ:査問」とかかれていますが、議論で是非をつけることを指すので「討論」+「公聴会」みたいな感じでしょうか)
↓「悲劇の歴史に思い寄せ 樺太アイヌと犬を慰霊」
http://homepage1.nifty.com/~hassy/Ochiho.html
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〜略
山辺は花守と、犬ぞりに使う六十匹のカラフト犬を落帆などで集めた。探検終了時には二十六匹が生きていたが、暴風雪で船への収容が難航。「やっと六頭だけを乗せた。犬は遠ぼえに鳴いて見送った」(山辺の自叙伝)。残りの二十匹は南極に置き去りに。「船が離れるにつれて犬は悲しげにうなだれていた。花守はついにシクシク泣きだした」と白瀬は書いている。
旧樺太住民の言い伝えでは「山辺と花守は帰郷後、家族同然の犬を殺したとしてチャランケ(査問)にかけられた。村人は犬の慰霊碑を建てて供養した」〜後略
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最初の探検はたいへんだったようで、最初出発した時は赤道越えるあたりで暑さに弱い樺太犬がほとんど死んでしまい続行できなかったとか、犬を連れてった人も辛かっただろうなと思います。
人間には人間の都合(事情)があり動物には動物の都合があり・・・
人と人にもそれぞれ都合がありで、さてその「都合」のすりあわせというか妥協点をどうするかってなのが「世間」の難しさでしょうか
(さてあまり考えると精神衛生に悪そうなので今回はこの辺でやめにしますです〜笑)
これは メッセージ 32768 (mamakaede さん)への返信です.
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