Re: れRe: >日本がフランス軍とインドシナ
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/01/08 01:51 投稿番号: [32442 / 43168]
>>ヴィシー・フランス軍の配置と兵力
>>合計兵力約9万5000
>これは全部フランス人だったのでしょうか。
>ヨーロッパの現地軍にはかなりの現地人が徴用されていましたですよね。
殆どは、現地徴募の現地・植民地兵(ベトナム、アルジェリア、セネガル、ヴェトナム、ラオス、地元タイ族)と、外人部隊だったようです。
約9万5000の内、現地徴募・植民地兵が約8万
フランス正規軍1万5000の内、約5000程が外人部隊(第5外人歩兵連隊・5REI)でした。
>数年前このカテで、自分の父親がヴェトナム駐留の日本兵だったという人が、ヴェトナムの日本軍は実際は連隊規模だったとかいていましたが、それはちょっと少なすぎるかな、とはおもっていました。
恐らくその方は、ご父君の所属部隊(恐らくは師団か旅団)の実質戦闘力が、連隊程度だった、と言われていたのではないでしょうか。
実際、この頃になりますと、完全編制を充足していたのは、内地の近衛師団位でしたから。
前線の「師団」戦闘力は、実質「連隊前後」と言った所だったようです。
この辺り、日本陸軍の部隊運用方法(貼り付け方式。ドイツも同じ)に関わってきますが。
部隊を前線に「貼り付け」ておいて。編制地に「留守部隊」を設置し、新兵の徴兵と訓練を行い、前線の「親部隊」に「供給」し続ける。
日独はこの方式でした。
*ドイツ軍も、東部戦線では中期以降は「装甲師団」は「装甲連隊」
「装甲擲弾兵師団」は「装甲擲弾兵連隊」下手をすると「装甲擲弾兵大隊」程度の戦力だったようです。
米国は「交代方式(2、3編制方式)」
損害を受け、兵力の減少した部隊(A)は後方へ下げ、前線後方で待機していた部隊(B)と交代し、
後方にいた部隊(C)が、(B)の後に前線後方に待機する。
(A⇒後方補充・休養地。B⇒前線。C⇒前線後方待機)
これをローテーションで繰り返す。
前者は、費用面での負担が少なく済みますが、補充路を遮断されると(制海権、制空権をとられると)後はジリ貧です。
後者は常に安定した戦力を投入できますが、維持費用がかなり嵩張る。
仏印の日本軍4万弱、と言うのは、制海権・制空権共に取られた後の弊害が出た最たるものですね。
これは メッセージ 32440 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
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