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Re: 尾張徳川(再トピずれ)<趣味に走る

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/11/16 00:14 投稿番号: [31011 / 43168]
・・・ので、前もってトピズレ脱線、スミマセムニダ・・・

>>いいなぁ〜ん。尾張は将軍様(といっても北じゃないよ!)も沢山輩出していますね。
>東亜さんもおっしゃったように実は尾張徳川家、将軍様(しつこいけど北の・・・じゃない)は
一人も輩出出来ませんでした・・・御三家筆頭なのに   ・゚・(つД`)・゚・
それが尾張の国に住む人のトラウマでコンプレックスです(笑)

徳川宗家(家康の『生存した最長年男子の家系=秀忠の家系』)の血筋は。
七代家継(1709年生〜1716年没。享年八歳。在職1713年〜1716年)で途絶えました。

で、八代の有力候補が尾張徳川(家康の七男義直が祖)の継友と、紀州徳川(同八男頼信が祖)の吉宗。
結局は紀州の吉宗が八代になりますが。
以降十四代家茂まで、悉くがこの「紀州徳川系」の将軍です。
九代家重(吉宗の長男)
十代家治(家重の長男)
十一代家斉(吉宗の四男・御三卿・一橋宗尹が祖。宗尹の孫で、吉宗の曾孫)
十二代家慶(家斉の二男)
十三代家定(家慶の四男)
十四代家茂(紀州家より。父は十一代家斉の七男で御三卿・清水家、後、紀州家を継いだ斉順)

で、最後の十五代慶喜が水戸家(水戸家・斉昭の七男。但し『将軍継承有資格家』の一橋家の養子になり『将軍継承資格』を得る)

因みに斉昭(慶喜のお父さん)の系譜初代・宗堯は、水戸家初代頼房の長男・松平頼重(ご老公様=黄門様のお兄さん)が初代になった高松藩松平(徳川)家の出身。
だけど水戸家三代目(光圀の次)は、この松平頼重(光圀の兄)の息子・綱条。
で、高松藩松平家の二代目に自分(光圀)の息子・頼常を送り込んでいます。
ややこしいですけど、実はこの高松藩松平家が、水戸(徳川)光圀公の血筋なんですねぇ・・・

・・・・はっ!尾張家は何処に・・・!!?

元々、「御三家」とは当初「将軍家、尾張家、紀州家」なんですよね・・・
或いは「駿河、尾張、紀州」の「三大納言家(徳川大納言家)」を称して「御三家」と言っておりましたが。
*水戸家は「中納言家」「副将軍=補佐・顧問格」だった訳で。
ですから、水戸家当主は「常府(ずっと江戸にいる)」で、国許(水戸)には帰っていないんですよね・・・(水戸家自体には将軍継承資格は無い)

その内、「将軍家」は「宗家」、「駿河大納言家」は「絶家」
で、「尾張、紀州、『水戸』」の「徳川姓の分家」が一般に「御三家」と呼ばれるように。

>>尾張=豪華で雅なイメージが。
>派手と言えば徳川宗春・・・七代藩主、ご存知暴れん坊将軍さまのライバル(?)です
>吉宗の倹約令を無視して、ど派手な事をした人物で「金は使ってこそ経済が活性化する」と言って
>芝居小屋や遊郭作っちゃったりした方です、所謂「歌舞伎者」ですね。
>元々お兄さんの継友が吉宗に八代将軍の座を取られちゃったりして、吉宗に反抗的だった事も関係しているようですが(笑)


と、言うよりは・・・
根底には吉宗の緊縮政策が経済の停滞を生み、庶民の不満が高まるのを見て、
自分の理想である規制緩和政策を実現したかったのだろうと思います。
(兄の事も、無意識には有ったでしょうが)

十分な資金があれば、それを大胆に、実は計算された慎重さで市場に投資すれば。
経済の歯車はより大きく回り、その利潤(ひいては藩の収入)も増える、そう考えたのでしょう。

残念な事は、それが藩士まで意図が伝わらず。
尾張藩士民の綱紀は緩み、財政も赤字に転じた事ですか・・・

面白いのは、この宗春の経済感覚。織田信長や豊臣秀吉とも一脈通ずる所がある事。

「尾張」と言う、中世からの経済地帯の土地柄でしょうか。
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