Re: 栗本薫
投稿者: dylake2r5j1 投稿日時: 2005/11/04 20:53 投稿番号: [30702 / 43168]
他の方々が既に言ってますから、それ以上の言葉もどうかとは思いますが一言
おっしゃるようにめぐみさんは1年365日24時間ずっと悲しんでいるわけじゃないでしょう、
今現在だって些細な事で笑っているかもしれません。
だけどだから「幸せ」なんでしょうか?
曽我ひとみさんも幸せそうな笑顔をみせる時があります、けど現在も一緒に拉致されたお母さんの
安否がわかっていません・・・だけど笑う事、幸せを感じる事は出来るのです
それを見て、笑っていられるのだから幸せなんだと言ってよいのでしょうか?
逆に母親の安否も分かっていないのに笑っていられる、薄情な人と言えばよいのでしょうか?
jugemさんは起こさんの寝顔を見ている時に幸せな気持ちになれるとおっしゃいましたが、
それ以外の時にはイヤな事、不幸な出来事に心を痛めますよね?またご自身が不幸を感じる事だって
ありますよね?
「小さな幸せ」は大切です、私には何も幸せに思うものがない・・・なんて思っていたら
自身を支える事も出来なくなってしまうでしょう。
けれど今現在もご自身、そして家族が不幸の只中にいる状況でたったひとつ「幸せに感じる」
ものがあるからと言って「幸せ」と、他人が言うべきではないと思います。
大きな不幸は現在も出口の見えない状況で続いているのですよ?
「それでも幸せ」と言ってよいのは、ご自身とせいぜい身内など、極近しい人だけだと思います。
傍から見ても、確実に幸せそうなら別でしょうが・・・
jugemさんは、子を持つ親の気持ちで、めぐみさんにも小さな幸せがあって良かったと感じたのですね、
ではそれと同時にかわいいお子さんが、ある日突然拉致され安否も分からない
そんな状況に置かれたとき、同じように「小さな幸せがあって良かったね」と他人に言われて
どんな気持ちになるか・・・考えて見ませんか?
これは メッセージ 30695 (jugem96 さん)への返信です.
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