Re: 栗本薫
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/11/04 19:35 投稿番号: [30698 / 43168]
まずは、再確認のために、そのHPを貼りますね。
これが問題とされた条です。
http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2002-9-19.htm
そして、こちらが、その後発表したものです。
http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2002-9-26.htm
>もう一度考えてみて下さい。 13歳で何のいわれもなく 両親から引き離され異国の地で生きてきためぐみさんが、1年365日 24時間 ずっと嘆き悲しみ 望郷の念に苛まれて ただただ泣いていたのではなく、ある時は「かわいいね。」と言われ 頬を赤らめる、女の子としての ささやかな喜びを味わい、また 母として子供を慈しむ喜びを味わっていた事が 分かったのですよ。へぎょんさんは、お母さんに可愛がってもらっていたと言っているではありませんか。
個々の事象でみれば、そういうこともあったでしょう。
人間は、悲しんだり喜んだりしてばかりで生きていけるものでもありませんし。生きている以上腹も減れば眠たくもなる。どんな状況でも「日常」は存在するでしょう。
>私も母の一人として断言出来ますが、我が子の寝顔を見ているときは、世の中の嫌な事 両親の顔など どこかに吹っ飛び、ただただ幸せな気分になる物です。
私は独身ですが、甥っ子でさえかわいいのに、我が子なら、腹を痛めて産んだ子ならなおさらそうでしょうね。
>そんな幸せな一瞬が、想像を絶する過酷なめぐみさんの人生の中に 一時期でもあって本当に良かったと、当時の報道を見ながら 私は涙しておりました。
彼女の生涯に一瞬の幸せがあってよかった、と言えるのは、彼女の生が完結したあとから見ているからであり、彼女が生きているうちに、現在進行形の事件として発覚していれば、どう考えられたでしょうか。
本来、拉致がなければ何もなかったわけです。
そして、彼女は主体的にその人生を選んだわけではありませんし、状況を変えることができたわけでもありません。これは、「人権」の蹂躙というやつですね。
その中での「日常」に一点の安堵をおぼえるのはけっこうですが、それが「拉致」という異常な状況によってつくりだされたものである点は忘れないでください。
>この考え方は、いかれた物でしょうか?
いかれた考え方というより、ピントのぼけた「考え方」だと思います。
「拉致」というマクロの状況ではなく、ミクロの「日常」に焦点をあわせすぎじゃないでしょうか。少しでも幸せがあったということと、理不尽な人生を強制されたことはまったく別次元の問題ですから。
まぁ、そのへんはご理解されているとは思うのですが。
横田めぐみさんの人生についての「感想」と言うなら、それはそれで一つの感想だとはおもいますがね。
栗本(中島梓)氏の場合「数奇な運命」という文学的な興味に引き寄せすぎて、妙な方向へ突っ走ってしまったのが痛かったとおもいます。
ま、もとからそういう妙な暴走癖では有名な作家でしたし、魅力のひとつであったような気もしますが。(苦笑)
これが問題とされた条です。
http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2002-9-19.htm
そして、こちらが、その後発表したものです。
http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2002-9-26.htm
>もう一度考えてみて下さい。 13歳で何のいわれもなく 両親から引き離され異国の地で生きてきためぐみさんが、1年365日 24時間 ずっと嘆き悲しみ 望郷の念に苛まれて ただただ泣いていたのではなく、ある時は「かわいいね。」と言われ 頬を赤らめる、女の子としての ささやかな喜びを味わい、また 母として子供を慈しむ喜びを味わっていた事が 分かったのですよ。へぎょんさんは、お母さんに可愛がってもらっていたと言っているではありませんか。
個々の事象でみれば、そういうこともあったでしょう。
人間は、悲しんだり喜んだりしてばかりで生きていけるものでもありませんし。生きている以上腹も減れば眠たくもなる。どんな状況でも「日常」は存在するでしょう。
>私も母の一人として断言出来ますが、我が子の寝顔を見ているときは、世の中の嫌な事 両親の顔など どこかに吹っ飛び、ただただ幸せな気分になる物です。
私は独身ですが、甥っ子でさえかわいいのに、我が子なら、腹を痛めて産んだ子ならなおさらそうでしょうね。
>そんな幸せな一瞬が、想像を絶する過酷なめぐみさんの人生の中に 一時期でもあって本当に良かったと、当時の報道を見ながら 私は涙しておりました。
彼女の生涯に一瞬の幸せがあってよかった、と言えるのは、彼女の生が完結したあとから見ているからであり、彼女が生きているうちに、現在進行形の事件として発覚していれば、どう考えられたでしょうか。
本来、拉致がなければ何もなかったわけです。
そして、彼女は主体的にその人生を選んだわけではありませんし、状況を変えることができたわけでもありません。これは、「人権」の蹂躙というやつですね。
その中での「日常」に一点の安堵をおぼえるのはけっこうですが、それが「拉致」という異常な状況によってつくりだされたものである点は忘れないでください。
>この考え方は、いかれた物でしょうか?
いかれた考え方というより、ピントのぼけた「考え方」だと思います。
「拉致」というマクロの状況ではなく、ミクロの「日常」に焦点をあわせすぎじゃないでしょうか。少しでも幸せがあったということと、理不尽な人生を強制されたことはまったく別次元の問題ですから。
まぁ、そのへんはご理解されているとは思うのですが。
横田めぐみさんの人生についての「感想」と言うなら、それはそれで一つの感想だとはおもいますがね。
栗本(中島梓)氏の場合「数奇な運命」という文学的な興味に引き寄せすぎて、妙な方向へ突っ走ってしまったのが痛かったとおもいます。
ま、もとからそういう妙な暴走癖では有名な作家でしたし、魅力のひとつであったような気もしますが。(苦笑)
これは メッセージ 30695 (jugem96 さん)への返信です.
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