>松前藩による同化
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/07/13 15:11 投稿番号: [27476 / 43168]
>は始まっていましたね。
松前藩時代初期のことはわかりませんが(不勉強で申し訳ありません)
松前藩では日本語、和風衣装(笠草履等)農耕(技術)などが禁止されていました。
18世紀末の一時期と箱館開港時からの幕府直轄地時代は逆に急な同化政策がありました。
>倭人の子供をアイヌが育てれば、それは「アイヌ」として扱われました。
明治以降も開拓地で行詰った和人がコタンに子供をおいて(連れては返れないので)
引き揚げる例は少なくなかったと聞いています(「残留和人孤児」?)
(もともと、血統にこだわる習慣はなかったんじゃないかなと思っています)
>独立を拒否したのです。
言葉尻をとらえて誠に申し訳ないのですが、
「分離を拒否した」とでも表現していただければ有難かったです。
(同じ事柄も表現次第で波風の立ち方がかわります)
>
〜反日武装戦線」の話
当時の新聞の抜粋です
「『風雪の群像、北大アイヌ資料展示場、爆破全容明るみに−着々と狼の胎動、入念な下見、殺傷へのノロシをあげる』
〜s47年5〜6月にかけ、大道寺将司が『わが国のアイヌ同化政策は、大和民族の侵略にほかならず、北大のアイヌ資料展示場はアイヌ文化を略奪したものであり、同化政策の象徴である』と当時同棲中のあや子(26)、片桐利明(27)、藤沢義美(25)=6月13日、長野県中野市新井の実家近くで自殺=ら3人に提案して全員が賛成。決定日をアイヌ民族の英雄シャクシャインの命日である10月23日と決めた。下見は7〜8月にかけ大道寺とあや子が北大をそれぞれ1回、9〜10月初めにかけて大道寺と藤沢が一緒に旭川を1回の計3回。この間、大道寺らは犯行が道内関係者であるよう少しでも見せかけられれば、と札幌市内のデパートなどで入れものが爆弾容器に転用できるカン入りせんべい(千秋俺、山親爺)とトラベルウォッチなどを買い、爆弾製造に備えた。」
どちらもの事件も和人が勝手に計画、実行したものだということです。
でも、捜査のときは活動家でもないのにその「生まれ」で尾行がついたり〜したということです。
(だんだん思い出してきた)この記事が掲載された同年には道警爆破事件、翌年道庁爆破事件と騒がしいころでした
(上の2ヵ所とも私の学校の校区内だったので大人は大変だったのだろうと思います)
これは メッセージ 27437 (chonkanchigai_yarodomo さん)への返信です.
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