>>>横 日本酒
投稿者: mernge 投稿日時: 2005/06/10 20:18 投稿番号: [26571 / 43168]
料理・御屠蘇には肥後(熊本県)名産、東肥の赤酒を・・・
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赤酒は現在の酒税法上では「その他の雑酒1」に分類される酒類ですが、その製法により「灰持酒(あくもちざけ)」ともいわれます。
赤酒に代表される「灰持酒(あくもちざけ)」は、酸を中和し保存性を高めるため、もろみを搾る前に「木灰」を入れることが最大の特徴です。(一般の清酒は、加熱する<火入れする>ことにより保存性を高めることから「火持酒(ひもちざけ)」と呼ばれます。)
「木灰」を使うことにより、独特の芳香を持つようになり、またその性質は微アルカリ性かそれに近いものとなります。このために時間の経過とともに、糖分やアミノ酸が反応し、自然に赤色を帯びてくることから「赤酒」と呼ばれるようになったと思われます。
<赤酒とみりんとの比較>
1. みりんは、アルコール(または焼酎)の中に麹(こうじ)ともち米を入れ、焼酎の中でもち米の澱粉を糖化し、その糖分が焼酎の中に溶け込んだもので、発酵という過程がありません。これに対し赤酒は、清酒と同様に発酵と糖化が並行して行われ、糖分・アルコール・アミノ酸が渾然一体となり甘味と旨味を醸し出しています。
2. 赤酒は、酒類ではまれな微アルカリ性という性質を持っています。このため料理に用いた場合、肉類・魚類などのたんぱく質を固めず、(身をしめず)ふっくらとした仕上がりにすることができます。
3. 赤酒は、その中に糖分・デキストリン・蛋白質・アミノ酸などの成分をバランスよく含有しており、照焼き・煮しめ・蒲焼きなどに使用した場合、テリよく仕上がり、冷めても料理のツヤが落ちません。また、アクのある野菜を煮た場合でも、色が変わらずきれいな色に仕上がります。
赤酒は古くから熊本地方に伝わる酒で、灰持酒(あくもちざけ)といわれる酒の代表的なものです。
米を原料に、清酒と同じような工程で仕込み、「もろみ」に木灰を投入することで、酸敗を防ぎ保存性をよくするという、日本古来からの製法を受け継いだ酒です。
もろみに木灰を入れるという日本の酒の製法は、古くは平安時代の「延喜式」の中の記述にまでさかのぼることができます。
酒に熱を加え保存性を高める「火入れ」という方法が確立するまで、酒は今で言う「生」のものが普通でしたが、当時の環境ではややもすると「火落ち」が起こりました。
火落ち菌により酒が酸敗しそうになったときに、強アルカリ性の木灰を投入することで、酒の酸を中和して保存性を高めるという先人の知恵は、その後長く日本の酒造りで取り入れられ、中世の頃は灰を入れないでできた酒が上等で、灰を入れた酒は下等酒とされていました。
熊本では、加藤清正が熊本城を築城した頃にはすでに、赤酒が庶民の酒として親しまれており、またその頃加藤家から大阪の豊臣家に熊本の名産として献上されたという記録もあります。
江戸時代になると肥後細川藩では赤酒を「お国酒」として保護し、赤酒以外の酒の製造を禁じ、また他藩からの酒の流入も禁じました。気候の温暖な熊本では、せっかく仕込んだ酒が火落ちしてしまうことも多く、貴重な酒を無駄にしないための、藩の政策だったと考えられます。
明治時代になり、他県から製法の改良により酒質が向上した(現在型の)清酒が流入してくると、酒の需要は清酒に傾き、旧来型の仕込みで造られた粘重な酒である赤酒の需要は大きく後退しましたが、それでも昭和初期まで赤酒は熊本の多くの蔵で造られていました。しかし、その後第二次大戦中、ついに赤酒は製造が禁じられ、一時は完全に市場からその姿を消してしまいました。
戦後「やはり熊本の地酒は赤酒。お屠蘇や御神酒には赤酒がないと(寂しい)。」という声に押され、当社で赤酒を復活させたところ、御神酒やお正月のお屠蘇酒として、また熊本ならではの料理酒として(料理酒としての評判は徐々に全国の料理人の間に広まり)、その需要を回復し、現在に至っております。
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赤酒は現在の酒税法上では「その他の雑酒1」に分類される酒類ですが、その製法により「灰持酒(あくもちざけ)」ともいわれます。
赤酒に代表される「灰持酒(あくもちざけ)」は、酸を中和し保存性を高めるため、もろみを搾る前に「木灰」を入れることが最大の特徴です。(一般の清酒は、加熱する<火入れする>ことにより保存性を高めることから「火持酒(ひもちざけ)」と呼ばれます。)
「木灰」を使うことにより、独特の芳香を持つようになり、またその性質は微アルカリ性かそれに近いものとなります。このために時間の経過とともに、糖分やアミノ酸が反応し、自然に赤色を帯びてくることから「赤酒」と呼ばれるようになったと思われます。
<赤酒とみりんとの比較>
1. みりんは、アルコール(または焼酎)の中に麹(こうじ)ともち米を入れ、焼酎の中でもち米の澱粉を糖化し、その糖分が焼酎の中に溶け込んだもので、発酵という過程がありません。これに対し赤酒は、清酒と同様に発酵と糖化が並行して行われ、糖分・アルコール・アミノ酸が渾然一体となり甘味と旨味を醸し出しています。
2. 赤酒は、酒類ではまれな微アルカリ性という性質を持っています。このため料理に用いた場合、肉類・魚類などのたんぱく質を固めず、(身をしめず)ふっくらとした仕上がりにすることができます。
3. 赤酒は、その中に糖分・デキストリン・蛋白質・アミノ酸などの成分をバランスよく含有しており、照焼き・煮しめ・蒲焼きなどに使用した場合、テリよく仕上がり、冷めても料理のツヤが落ちません。また、アクのある野菜を煮た場合でも、色が変わらずきれいな色に仕上がります。
赤酒は古くから熊本地方に伝わる酒で、灰持酒(あくもちざけ)といわれる酒の代表的なものです。
米を原料に、清酒と同じような工程で仕込み、「もろみ」に木灰を投入することで、酸敗を防ぎ保存性をよくするという、日本古来からの製法を受け継いだ酒です。
もろみに木灰を入れるという日本の酒の製法は、古くは平安時代の「延喜式」の中の記述にまでさかのぼることができます。
酒に熱を加え保存性を高める「火入れ」という方法が確立するまで、酒は今で言う「生」のものが普通でしたが、当時の環境ではややもすると「火落ち」が起こりました。
火落ち菌により酒が酸敗しそうになったときに、強アルカリ性の木灰を投入することで、酒の酸を中和して保存性を高めるという先人の知恵は、その後長く日本の酒造りで取り入れられ、中世の頃は灰を入れないでできた酒が上等で、灰を入れた酒は下等酒とされていました。
熊本では、加藤清正が熊本城を築城した頃にはすでに、赤酒が庶民の酒として親しまれており、またその頃加藤家から大阪の豊臣家に熊本の名産として献上されたという記録もあります。
江戸時代になると肥後細川藩では赤酒を「お国酒」として保護し、赤酒以外の酒の製造を禁じ、また他藩からの酒の流入も禁じました。気候の温暖な熊本では、せっかく仕込んだ酒が火落ちしてしまうことも多く、貴重な酒を無駄にしないための、藩の政策だったと考えられます。
明治時代になり、他県から製法の改良により酒質が向上した(現在型の)清酒が流入してくると、酒の需要は清酒に傾き、旧来型の仕込みで造られた粘重な酒である赤酒の需要は大きく後退しましたが、それでも昭和初期まで赤酒は熊本の多くの蔵で造られていました。しかし、その後第二次大戦中、ついに赤酒は製造が禁じられ、一時は完全に市場からその姿を消してしまいました。
戦後「やはり熊本の地酒は赤酒。お屠蘇や御神酒には赤酒がないと(寂しい)。」という声に押され、当社で赤酒を復活させたところ、御神酒やお正月のお屠蘇酒として、また熊本ならではの料理酒として(料理酒としての評判は徐々に全国の料理人の間に広まり)、その需要を回復し、現在に至っております。
これは メッセージ 26569 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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