方便
投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2005/02/21 17:46 投稿番号: [19363 / 43168]
>そもそも世の中で「宗教」と呼ばれているもの全てが、実は蒙昧な民衆に、「大自然のことわり」「人としての道徳」を教える為の「方便」ではないかというのが
非常に判りやすいですね。
似たような事を言っていた記事を読んだ気がします(書名、著者とも、失念;)
ちょっと「宗教観」的になってしまいますが。
「宗教」と「信仰」は「似て非なるものではないか?」と。
人が集まり「集団」となり、集団が集まり「大集団(都市なり)」になった場合。
無秩序では集団を維持できません。
「ルール」が必要になりますが。
そこで「宗教」を「造る」必要性が出てきたのではなかろうか、と。
行動規範、道徳規範、思考規範...
「集団」を維持し、発展させる為の「最大公約数的規範」を「宗教」に求めたのかな、と。
(コーランには、ムスリムとして取るべき日常規範が結構細かく記載されていますし)
人と人が集まって、衝突せず、集団を維持していく為の「道具」
ユダヤ教の「律法」
キリスト教の「聖書の教え」
同じなのかな、と。
「信仰」は寧ろhonkyさんが仰っているように
「大自然の理と畏怖、敬意」「祖霊の鎮め」が根本なのでは、と。
*この場合、一神教では「神」への「信仰」は、言ってみれば「管理者への忠誠」とも取れるのですが。
多神教の神々は、大元は大自然の森羅万象ですから...
「宗教」は「ルール」
「信仰」は「心情」
と、言い切るのは割り切りすぎですが、それに近い考えです。
これは メッセージ 19352 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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