こう言うと
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/02/21 17:10 投稿番号: [19352 / 43168]
語弊があり、他の人々の怒りを買うと思うのですが、敢えて私見を述べます。
私は特定の宗教には入信してはいませんが(ただ、お宮参りやお寺参りはします)、妙法蓮華経の「方便品」に書かれている、「方便」の意味は、なるほど!と思うんです。
つまり、仏像(神像)も、立派な寺社の建築も、すべては、宗教の本義を蒙昧な民衆に教える為の「方便」であり、信者が「あ、そうか」と分かった段階で、仏像も立派な建築物もブッ壊して構わない程度のものだとのことなんです。(これは、ワタシの死んだオジキが日蓮宗の在家僧侶だったので知ったのですが。)
この考えをちょっと展開させてみると、そもそも世の中で「宗教」と呼ばれているもの全てが、実は蒙昧な民衆に、「大自然のことわり」「人としての道徳」を教える為の「方便」ではないかというのが、私見です。(「神道」は別です。神道は、いわゆる宗教とは違う、もっと空気のようなものではないかな。)
ですから、イスラム教や、日蓮宗や、東ローマ皇帝レオ3世の偶像否定は、宗教の内部での出来事ですが、ワタシとしては、宗教自体が「方便」ではないか、と。
いや、仏陀やキリストやムハンマドの真意は、ワタシは全くと言っていいほど勉強していないので、分かりません。
この点、日本の神道は、非常にナチュラルで、なんだか、人間の「肌」で感じるものであるような気がしてなりません。
日本人だから自画自賛しているんじゃなくてです。
これは メッセージ 19345 (doronpa75 さん)への返信です.
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