千寛宇著『資料で見る大韓民国建国史』
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2007/07/29 11:02 投稿番号: [5962 / 7270]
>同書のすばらしい点は、史料の根拠と著者の主張が明確に区別されていることとだ。
>韓国現代史に関する本は多数あるが、どこまでが史料に基づき、どこまでが著者の主張なのか、はっきりしない物も多い。
>しかし、同書は主な事件当時者の声と、資料をそのまま提示し、著者の見解を添えたことで、「事実」と「主張」を徹底的に区分している。
>千寛宇(チョン・グァヌ=1925−91=)氏。55年に韓国日報に連載された「史料で見た解放10年の歴史」と
>59年に朝鮮日報に連載された「資料中心、政府が樹立されるまで」をまとめた1冊だ。
残念ながら故人でした。(昔の方がまともに「歴史」を観ようとする人がいたみたいで・・・^^)
http://www.chosunonline.com/article/20070729000005
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【新刊】千寛宇著『資料で見る大韓民国建国史』(知識産業社)
1941年12月9日、大韓民国臨時政府は「対日宣戦声明書」を発表した。「韓国の全人民は現在、すでに反侵略戦線に加わっており、1つの戦闘単位として枢軸国に宣戦する。韓国・中国および西太平洋から倭寇(日本)を完全に駆逐するため、最後の勝利を得るまで血戦する」
しかし、国際情勢は韓国を国際社会の一員として認めなかった。1943年12月1日、米英中の3カ国は「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、適切な時期に朝鮮を自主独立させるようにすることを決定する」というカイロ宣言を採択した。日本の植民地から解放される(日本が敗戦する)20日前の45年7月26日、3つの同盟国は再び「“カイロ”宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と、ドイツのポツダムで宣言した。
解放後、独立した統一国家が建設されるかと思われたが、38度線の画定や南北の米ソ軍政、米ソ共同委員会の決裂、韓国問題の国連上程といった国際関係の変化に伴い、南北別々の政府が建てられることになった。日本帝国主義の末期から大韓民国が建設されるまでの約10年間、韓国は激変する国際社会の渦中の真っ只中にいた。この時期ほど国内・国際的に数多くの事件がかさなったことはなかっただろう。そのため、一般人はもちろん、この時期を研究課題とする研究者たちも、多数の事件と記録の海をさ迷うことになる。
同書は、膨大な資料の中から重要な事件を年代順に選び出し、該当する第1次文献を提示した後、解説をつけている。解放直後、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)を中心とする建国準備委員会宣言文、「連合国総司令官の命令に違反した者は処罰すること」を宣言した米第8軍司令官ハジ中将の布告文、38度線を画定した「連合国最高司令部一般命令第1号」などの文献を読むと、大韓民国の建国過程がありありと蘇る。解放後の歴史における主な史料やその意義が1冊に集約されているのだ。
このように編集されている同書のすばらしい点は、史料の根拠と著者の主張が明確に区別されていることとだ。韓国現代史に関する本は多数あるが、どこまでが史料に基づき、どこまでが著者の主張なのか、はっきりしない物も多い。しかし、同書は主な事件当時者の声と、資料をそのまま提示し、著者の見解を添えたことで、「事実」と「主張」を徹底的に区分している。
著者は韓国日報論説委員・朝鮮日報編集局長・東亜日報主筆を務めたジャーナリストであると同時に、『■渓 柳馨遠(ユ・ヒョンウォン)研究』(■は石へんに番)などの独自の歴史論文を執筆、歴史編さん委員会委員や韓国思想史学会会長でもあった千寛宇(チョン・グァヌ=1925−91=)氏。55年に韓国日報に連載された「史料で見た解放10年の歴史」と59年に朝鮮日報に連載された「資料中心、政府が樹立されるまで」をまとめた1冊だ。
イ・ハンス記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS 記事入力 : 2007/07/29 10:33:51
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>韓国現代史に関する本は多数あるが、どこまでが史料に基づき、どこまでが著者の主張なのか、はっきりしない物も多い。
>しかし、同書は主な事件当時者の声と、資料をそのまま提示し、著者の見解を添えたことで、「事実」と「主張」を徹底的に区分している。
>千寛宇(チョン・グァヌ=1925−91=)氏。55年に韓国日報に連載された「史料で見た解放10年の歴史」と
>59年に朝鮮日報に連載された「資料中心、政府が樹立されるまで」をまとめた1冊だ。
残念ながら故人でした。(昔の方がまともに「歴史」を観ようとする人がいたみたいで・・・^^)
http://www.chosunonline.com/article/20070729000005
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【新刊】千寛宇著『資料で見る大韓民国建国史』(知識産業社)
1941年12月9日、大韓民国臨時政府は「対日宣戦声明書」を発表した。「韓国の全人民は現在、すでに反侵略戦線に加わっており、1つの戦闘単位として枢軸国に宣戦する。韓国・中国および西太平洋から倭寇(日本)を完全に駆逐するため、最後の勝利を得るまで血戦する」
しかし、国際情勢は韓国を国際社会の一員として認めなかった。1943年12月1日、米英中の3カ国は「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、適切な時期に朝鮮を自主独立させるようにすることを決定する」というカイロ宣言を採択した。日本の植民地から解放される(日本が敗戦する)20日前の45年7月26日、3つの同盟国は再び「“カイロ”宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と、ドイツのポツダムで宣言した。
解放後、独立した統一国家が建設されるかと思われたが、38度線の画定や南北の米ソ軍政、米ソ共同委員会の決裂、韓国問題の国連上程といった国際関係の変化に伴い、南北別々の政府が建てられることになった。日本帝国主義の末期から大韓民国が建設されるまでの約10年間、韓国は激変する国際社会の渦中の真っ只中にいた。この時期ほど国内・国際的に数多くの事件がかさなったことはなかっただろう。そのため、一般人はもちろん、この時期を研究課題とする研究者たちも、多数の事件と記録の海をさ迷うことになる。
同書は、膨大な資料の中から重要な事件を年代順に選び出し、該当する第1次文献を提示した後、解説をつけている。解放直後、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)を中心とする建国準備委員会宣言文、「連合国総司令官の命令に違反した者は処罰すること」を宣言した米第8軍司令官ハジ中将の布告文、38度線を画定した「連合国最高司令部一般命令第1号」などの文献を読むと、大韓民国の建国過程がありありと蘇る。解放後の歴史における主な史料やその意義が1冊に集約されているのだ。
このように編集されている同書のすばらしい点は、史料の根拠と著者の主張が明確に区別されていることとだ。韓国現代史に関する本は多数あるが、どこまでが史料に基づき、どこまでが著者の主張なのか、はっきりしない物も多い。しかし、同書は主な事件当時者の声と、資料をそのまま提示し、著者の見解を添えたことで、「事実」と「主張」を徹底的に区分している。
著者は韓国日報論説委員・朝鮮日報編集局長・東亜日報主筆を務めたジャーナリストであると同時に、『■渓 柳馨遠(ユ・ヒョンウォン)研究』(■は石へんに番)などの独自の歴史論文を執筆、歴史編さん委員会委員や韓国思想史学会会長でもあった千寛宇(チョン・グァヌ=1925−91=)氏。55年に韓国日報に連載された「史料で見た解放10年の歴史」と59年に朝鮮日報に連載された「資料中心、政府が樹立されるまで」をまとめた1冊だ。
イ・ハンス記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS 記事入力 : 2007/07/29 10:33:51
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これは メッセージ 1 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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