Re: 「鎧は古朝鮮と高句麗が元祖」
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/09 13:14 投稿番号: [5837 / 7270]
>韓国人はやっぱり頭がおかしいなって思うだけだぞ。
>お前はこれで自慢したいらしいが、逆効果だって気づけ。アホ!
まさに。(笑)
韓国のウリナラ・マンセー誇大妄想史を貼り付けても、笑いものです。
>>「鎧(よろい)と馬鎧は古朝鮮と高句麗が元祖だ。」
>>論文を見れば、古朝鮮の領域にあった粛慎(しゅくしん)で骨鎧を作ったという記録がある(陳寿東夷列伝粛慎氏族)
>>また古朝鮮領土である大牧丹屯、虎谷、黒竜江省キョンファ遺跡などで将兵型骨甲皮が出土して韓民族の骨鎧生産時期は新石器時代後期ま
で遡及されている。
>>平壌市楽浪区域貞栢洞1号墓出土鉄甲は長方形の鉄片を魚鱗のように編んだことで紀元前三世紀、古朝鮮後期に鉄甲が生産されたと見られる
>古代の韓国人と、今の韓国人は、違う民族だろ。
古朝鮮、中国東北部のツングース系民族の「粛慎」などを、いかにも韓民族の歴史の如く自慢しているという話ですね。(笑)
それは、中国東北部から朝鮮半島地域を支配した他民族の古代史であって、朝鮮・韓民族の歴史ではありません。
鎧・朝鮮起源説に目がくらんで、自滅。(大笑)
------------------------
粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)とは、現在の中国東北地方・ロシアの沿海地方地方に住んでいたとされるツングース系民族。また、後にこの民族が住んでいた地域の名称ともなった。この粛慎という呼び名は周代・春秋戦国時代の華北を中心とする東アジア都市文化圏の人々(後に漢民族として統合されていく前身となった人々)による呼び名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9B%E6%85%8E
「民族」(nation)とは、実は近代国家(nation-state)を前提とした言い方である。まあ、そこまでは言わないまでも、古代人がそのまま現在の国民になったとは言えない。わが日本でも、長らく中央政権に従わなかった関東以東の「毛人」や「蝦夷」は、少なくともその時点では日本「国民」(nation)と呼べないであろう。だから、古代日本史とは正確には日本列島地域史であって、決して日本「国民史」ではないのである。同様に、古代朝鮮史とは朝鮮半島及び満州地域史として理解しなければならない。
にもかかわらず、朝鮮人はなぜ「檀君」を、そして「古朝鮮」を持ち出すのか。言うまでもなく、「朝鮮」の望ましき「始まり」を語りたいがためである。「朝鮮」は中国文明とは独立にあり、かつ現国土よりも広大な領土を有する「民族」であったと語りたいがためである。揚げ足を取るようで心苦しいが、檀君紀元とは中国の堯舜神話の堯帝即位年から弾き出されたものである(注)。それに、古朝鮮の版図とは「朝鮮民族」ではなくツングース族の拡がりであり、それはかえって「民族」の起源について馬脚を晒してしまっている格好なのである。
「朝鮮民族」とはいくら早くとも新羅による半島統一以降の融合産物と言わざるを得ない(注1)。そういう意味で、扶余人や高句麗人は、それに渤海人も「朝鮮人」ではない。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-95.htm
>お前はこれで自慢したいらしいが、逆効果だって気づけ。アホ!
まさに。(笑)
韓国のウリナラ・マンセー誇大妄想史を貼り付けても、笑いものです。
>>「鎧(よろい)と馬鎧は古朝鮮と高句麗が元祖だ。」
>>論文を見れば、古朝鮮の領域にあった粛慎(しゅくしん)で骨鎧を作ったという記録がある(陳寿東夷列伝粛慎氏族)
>>また古朝鮮領土である大牧丹屯、虎谷、黒竜江省キョンファ遺跡などで将兵型骨甲皮が出土して韓民族の骨鎧生産時期は新石器時代後期ま
で遡及されている。
>>平壌市楽浪区域貞栢洞1号墓出土鉄甲は長方形の鉄片を魚鱗のように編んだことで紀元前三世紀、古朝鮮後期に鉄甲が生産されたと見られる
>古代の韓国人と、今の韓国人は、違う民族だろ。
古朝鮮、中国東北部のツングース系民族の「粛慎」などを、いかにも韓民族の歴史の如く自慢しているという話ですね。(笑)
それは、中国東北部から朝鮮半島地域を支配した他民族の古代史であって、朝鮮・韓民族の歴史ではありません。
鎧・朝鮮起源説に目がくらんで、自滅。(大笑)
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粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)とは、現在の中国東北地方・ロシアの沿海地方地方に住んでいたとされるツングース系民族。また、後にこの民族が住んでいた地域の名称ともなった。この粛慎という呼び名は周代・春秋戦国時代の華北を中心とする東アジア都市文化圏の人々(後に漢民族として統合されていく前身となった人々)による呼び名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9B%E6%85%8E
「民族」(nation)とは、実は近代国家(nation-state)を前提とした言い方である。まあ、そこまでは言わないまでも、古代人がそのまま現在の国民になったとは言えない。わが日本でも、長らく中央政権に従わなかった関東以東の「毛人」や「蝦夷」は、少なくともその時点では日本「国民」(nation)と呼べないであろう。だから、古代日本史とは正確には日本列島地域史であって、決して日本「国民史」ではないのである。同様に、古代朝鮮史とは朝鮮半島及び満州地域史として理解しなければならない。
にもかかわらず、朝鮮人はなぜ「檀君」を、そして「古朝鮮」を持ち出すのか。言うまでもなく、「朝鮮」の望ましき「始まり」を語りたいがためである。「朝鮮」は中国文明とは独立にあり、かつ現国土よりも広大な領土を有する「民族」であったと語りたいがためである。揚げ足を取るようで心苦しいが、檀君紀元とは中国の堯舜神話の堯帝即位年から弾き出されたものである(注)。それに、古朝鮮の版図とは「朝鮮民族」ではなくツングース族の拡がりであり、それはかえって「民族」の起源について馬脚を晒してしまっている格好なのである。
「朝鮮民族」とはいくら早くとも新羅による半島統一以降の融合産物と言わざるを得ない(注1)。そういう意味で、扶余人や高句麗人は、それに渤海人も「朝鮮人」ではない。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-95.htm
これは メッセージ 5836 (pup_pooh_one さん)への返信です.
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