Re: 朝鮮の開国
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/02/12 01:04 投稿番号: [5019 / 7270]
投稿字数制限のため、尻尾が切れてしまいました。
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「きままに歴史資料集」「明治開化期の日本と朝鮮」
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm
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①日本に「朝鮮征伐論」はあったのか。「征韓論」とは何か。
>この時、日本では朝鮮を征伐すべきだという征韓論が活発に論議されました。
>虎視眈々と朝鮮征伐のチャンスを狙っていた日本
>日本は内部的には軍艦を派遣して攻撃するという方針を定め、表面的には朝鮮と外交交渉を始めます。
大院君の鎖国攘夷政策のために、何年間も外交交渉が難航した訳ですよね。
朝鮮が「皇」だの、「勅」だの、実に詰まらないことに難癖つけて(書契問題)、開国どころか、徳川幕府から明治政府に変わったことを知らせる外交文書すら受理しないので、日本側に不満が高まっていた。
この憤懣が「征韓論」となった。
後述するが、この朝鮮側もこの対応について、誤りを認めている。
では、「征韓論」というのは何か。
日朝交渉が頓挫したので、1870年(明治3年)4月頃、担当者の外務権大録の佐田白芽が「朝鮮討伐」を説いて回ったのは事実。
これに在野の書生壮士連中が加わり、「討伐」を論じる者もいた。
しかし、1873年(明治6年)6月12日の朝鮮問題を論じる初めての閣議で、外務少輔の上野景範が、
「朝鮮にいる居留民の引き揚げを決定するか、もしくは武力に訴えても、朝鮮に対し修好条約の調印を迫るか、二つに一つの選択しかありません」と説明。
参議の板垣退助は、
「朝鮮に滞在する居留民を保護するのは、政府として当然であるから、すぐ一大隊の兵を釜山に派遣し、その後修好条約の談判にかかるのが良いと思う」と発言。
それに対して、参議の西郷隆盛は、次のように意見を述べ、受け入れられた。
「それは早急に過ぎもす。兵隊などを派遣すれば、朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがありもす。これまでの経緯を考えると、今まで朝鮮と交渉してきたのは外務省の卑官ばかりでごわした。そんため、朝鮮側も地方官吏にしか対応させなかったのではごわはんか。ここは、まず、軍隊を派遣するということは止め、位も高く、責任ある全権大使を派遣することが、朝鮮問題にとって一番の良策であると思いもす。」
そして、西郷はその後自ら希望し、朝鮮使節の全権大使に任命される。
しかし、西郷が交渉に失敗すれば自害しかねず(またはメンツを潰される)、そうなれば日本国内の激憤を抑えられず、出兵し、朝鮮・清と戦争になるかも知れないという大久保利通・岩倉具視の判断で、これは取り止めになった。
日本政府中枢で、「朝鮮討伐」が議論されたことはない。
「征韓論」は、日本の在野世論の、朝鮮側の対応への単なる不満の表明であった。
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「きままに歴史資料集」「明治開化期の日本と朝鮮」
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm
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①日本に「朝鮮征伐論」はあったのか。「征韓論」とは何か。
>この時、日本では朝鮮を征伐すべきだという征韓論が活発に論議されました。
>虎視眈々と朝鮮征伐のチャンスを狙っていた日本
>日本は内部的には軍艦を派遣して攻撃するという方針を定め、表面的には朝鮮と外交交渉を始めます。
大院君の鎖国攘夷政策のために、何年間も外交交渉が難航した訳ですよね。
朝鮮が「皇」だの、「勅」だの、実に詰まらないことに難癖つけて(書契問題)、開国どころか、徳川幕府から明治政府に変わったことを知らせる外交文書すら受理しないので、日本側に不満が高まっていた。
この憤懣が「征韓論」となった。
後述するが、この朝鮮側もこの対応について、誤りを認めている。
では、「征韓論」というのは何か。
日朝交渉が頓挫したので、1870年(明治3年)4月頃、担当者の外務権大録の佐田白芽が「朝鮮討伐」を説いて回ったのは事実。
これに在野の書生壮士連中が加わり、「討伐」を論じる者もいた。
しかし、1873年(明治6年)6月12日の朝鮮問題を論じる初めての閣議で、外務少輔の上野景範が、
「朝鮮にいる居留民の引き揚げを決定するか、もしくは武力に訴えても、朝鮮に対し修好条約の調印を迫るか、二つに一つの選択しかありません」と説明。
参議の板垣退助は、
「朝鮮に滞在する居留民を保護するのは、政府として当然であるから、すぐ一大隊の兵を釜山に派遣し、その後修好条約の談判にかかるのが良いと思う」と発言。
それに対して、参議の西郷隆盛は、次のように意見を述べ、受け入れられた。
「それは早急に過ぎもす。兵隊などを派遣すれば、朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがありもす。これまでの経緯を考えると、今まで朝鮮と交渉してきたのは外務省の卑官ばかりでごわした。そんため、朝鮮側も地方官吏にしか対応させなかったのではごわはんか。ここは、まず、軍隊を派遣するということは止め、位も高く、責任ある全権大使を派遣することが、朝鮮問題にとって一番の良策であると思いもす。」
そして、西郷はその後自ら希望し、朝鮮使節の全権大使に任命される。
しかし、西郷が交渉に失敗すれば自害しかねず(またはメンツを潰される)、そうなれば日本国内の激憤を抑えられず、出兵し、朝鮮・清と戦争になるかも知れないという大久保利通・岩倉具視の判断で、これは取り止めになった。
日本政府中枢で、「朝鮮討伐」が議論されたことはない。
「征韓論」は、日本の在野世論の、朝鮮側の対応への単なる不満の表明であった。
これは メッセージ 5018 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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