40年前
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2006/10/14 01:56 投稿番号: [4588 / 7270]
今回の事態はプエブロ号事件のときのソビエトの立場に中国が立たされているような感じがします(同じ手が今回も通じるのかわかりませんが・・)
「個人崇拝への道(3)」 より
__________________________________________
〜略〜
◆ワジム・トカチェンコの証言
我々は、危険だと感じました。北朝鮮に対するコントロールが効かなくなったからです。
北朝鮮はソビエトを軍事衝突に巻き込む恐れさえありました。我々は深く考え込みました、何をなすべきかと。
<ナレーション>
考える間もありませんでした。二日後、世界を震撼させる出来事が、再び起こりました。
北朝鮮がアメリカの情報船、プエブロ号を拿捕し乗員82人を拘束したのです。
プエブロ号が領海を侵犯したと主張。アメリカの謝罪がなければ、乗員は解放しないと通告しました。
アメリカはプエブロ号は公海にいたと反論。大統領のジョンソンはプエブロ号を奪還するため、北朝鮮の爆撃も検討しました。航空母艦三隻と200機以上の戦闘機を出動させました。
ソビエトは驚愕しました。軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと衝突すれば、全面戦争に発展し、自らも巻き込まれる恐れがあるからです。
ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)
「政府、党の中央機関の人間は、誰も睡眠を取ることができませんでした。誰も家に帰れず、オフィスから出る事ができませんでした。
私たちは正に激流に中にいました。ぎりぎりの状態で危機を解決しなければならなかったのです。」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
<ナレーション>
首相のコスイギンは、不測に事態を防ぐためアメリカのジョンソンに書簡を送りました。
◆コスイギンの書簡 ――――――――――――――
大統領閣下、我が国が見るところ、問題を解決する最も確実な方法は、軽率な行動を取らないことです。
北朝鮮に圧力をかけようとする試みは、単に解決を難しくするだけです。
◆ ◆ ◆
<ナレーション>
コスイギンの書簡が届いた二日後、ジョンソンは北朝鮮に交渉を提案。至急協議したいと呼びかけました。
その二日後キム・イルソン(金日成)の書簡がモスクワに届き、コスイギンを驚かせました。初刊の内容をソビエト共産党の幹部が記録しています。
◆ ◆キム・イルソンの書簡◆ ◆ ◆ ◆
我々は侵略者に対して反撃を加える準備をしなければなりません。
戦争が起きればソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と闘うと確信しています。
その場合総力を動員し、我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆ ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)―――
北朝鮮は私たちを試しさえしました。彼らはカミソリの上を渡っていたのです。一歩間違えれば、本当に戦争になっていました。
北朝鮮は我々から得られるもの全てを搾り取ろうとしたのです。戦争の危険を顧みずに。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
<ナレーション>
ソビエトの最高指導者、書記長のブレジネフが説得に乗り出しました。
ブレジネフはキム・イルソンをモスクワに呼びました。しかし、キム・イルソンは国を離れられないとして、拒否しました。
パンムンジュム(板門店)ではアメリカと北朝鮮の交渉が始まっていました。交渉の様子をアメリカ側の報道機関が撮影していました。
北朝鮮はアメリカが謝罪しなければ乗員は解放しないと繰り返し主張。11ヶ月に及ぶ交渉の末、アメリカはついに譲歩しました。
〜後略〜
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「個人崇拝への道(3)」 より
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〜略〜
◆ワジム・トカチェンコの証言
我々は、危険だと感じました。北朝鮮に対するコントロールが効かなくなったからです。
北朝鮮はソビエトを軍事衝突に巻き込む恐れさえありました。我々は深く考え込みました、何をなすべきかと。
<ナレーション>
考える間もありませんでした。二日後、世界を震撼させる出来事が、再び起こりました。
北朝鮮がアメリカの情報船、プエブロ号を拿捕し乗員82人を拘束したのです。
プエブロ号が領海を侵犯したと主張。アメリカの謝罪がなければ、乗員は解放しないと通告しました。
アメリカはプエブロ号は公海にいたと反論。大統領のジョンソンはプエブロ号を奪還するため、北朝鮮の爆撃も検討しました。航空母艦三隻と200機以上の戦闘機を出動させました。
ソビエトは驚愕しました。軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと衝突すれば、全面戦争に発展し、自らも巻き込まれる恐れがあるからです。
ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)
「政府、党の中央機関の人間は、誰も睡眠を取ることができませんでした。誰も家に帰れず、オフィスから出る事ができませんでした。
私たちは正に激流に中にいました。ぎりぎりの状態で危機を解決しなければならなかったのです。」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
<ナレーション>
首相のコスイギンは、不測に事態を防ぐためアメリカのジョンソンに書簡を送りました。
◆コスイギンの書簡 ――――――――――――――
大統領閣下、我が国が見るところ、問題を解決する最も確実な方法は、軽率な行動を取らないことです。
北朝鮮に圧力をかけようとする試みは、単に解決を難しくするだけです。
◆ ◆ ◆
<ナレーション>
コスイギンの書簡が届いた二日後、ジョンソンは北朝鮮に交渉を提案。至急協議したいと呼びかけました。
その二日後キム・イルソン(金日成)の書簡がモスクワに届き、コスイギンを驚かせました。初刊の内容をソビエト共産党の幹部が記録しています。
◆ ◆キム・イルソンの書簡◆ ◆ ◆ ◆
我々は侵略者に対して反撃を加える準備をしなければなりません。
戦争が起きればソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と闘うと確信しています。
その場合総力を動員し、我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆ ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)―――
北朝鮮は私たちを試しさえしました。彼らはカミソリの上を渡っていたのです。一歩間違えれば、本当に戦争になっていました。
北朝鮮は我々から得られるもの全てを搾り取ろうとしたのです。戦争の危険を顧みずに。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
<ナレーション>
ソビエトの最高指導者、書記長のブレジネフが説得に乗り出しました。
ブレジネフはキム・イルソンをモスクワに呼びました。しかし、キム・イルソンは国を離れられないとして、拒否しました。
パンムンジュム(板門店)ではアメリカと北朝鮮の交渉が始まっていました。交渉の様子をアメリカ側の報道機関が撮影していました。
北朝鮮はアメリカが謝罪しなければ乗員は解放しないと繰り返し主張。11ヶ月に及ぶ交渉の末、アメリカはついに譲歩しました。
〜後略〜
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これは メッセージ 4587 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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