Re: 「百人斬り競争」訴訟
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/05/27 21:20 投稿番号: [4063 / 7270]
>裁判において、「百人斬り」とは、どのような状況で行われたことになっているのですか。
>「戦闘中の行為としてはおよそ不可能な行為だが、ほとんどは戦闘終了後の捕虜「処分」時に行われたと考えられる(志々目手記、望月手記にも示されている)。」 ということなのか。
ご推察の通りだと思います。
判決文がサイト上で入手できず、裁判官の判断が何によっているのか不明なところがありますが、サイトから拾ってきた判決の一部から考えてみます。
控訴審判決の一部(①②は、私の記入)
『事件として比較的広く知られ,かつ,何が真実かをめぐって論争を呼ぶような歴史的事実に関する表現行為について,当該行為(故人の生前の行為に関する事実摘示又は論評)が故人に対する遺族の敬愛追慕の情を違法に侵害する不法行為に該当するものというためには,その前提として,少なくとも,故人の社会的評価を低下させることになる摘示事実又は論評若しくはその基礎事実の重要な部分が全くの虚偽であることを要するものと解するのが相当であり,その上で,当該行為の属性及びこれがされた状況(時,場所,方法等)などを総合的に考慮し,当該行為が故人の遺族の敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害するものといい得る場合に,当該行為について不法行為の成立を認めるのが相当である。』
『南京攻略戦当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務,1本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても,本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について,同記事の内容を信じることはできないのであって,同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。①
しかしながら,その競争の内実が本件日日記事の内容とは異なるものであったとしても,次の諸点に照らせば,両少尉が,南京攻略戦において軍務に服する過程で,当時としては,「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず,本件日日記事の「百人斬り競争」を新聞記者の創作記事であり,全くの虚偽であると認めることはできないというべきである。②』
問題は、①と②が異なる点です。
その根拠は、②の「次の諸点に照らせば」にあるのですが、この肝心な点が不明です。(苦笑)
そこで、①と②の違いから推測してみましょう。
①で当時報道された毎日新聞の「記事の内容を信じることはできない」というのは、当時の浅海記者と同行した大阪毎日の元カメラマン佐藤振寿氏の「あれは全くの法螺話」との法廷証言が影響していると思います。
しかし、②の『「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず』とは、①の「戦闘戦果」ではなく、「本多勝一記事、志々目手記、望月手記などによる捕虜の処分や農民の殺害」などを指すものだろうと考えます。
ところで、この裁判は控訴人の遺族側に立証責任があり、本多勝一・元朝日新聞記者の取材した中国人の証言、志々目手記、望月手記が「全くの虚偽である」と証明することが求められました。
これは、非常にハードルの高い、困難な基準ですね。これがこの裁判の特異性です。
そして、「全くの虚偽である」と控訴人が立証していないと裁判官が判断したため、敗訴となりました。
といっても、「百人斬り競争」が事実であると裁判所が判断したのではありません。
逆に、裁判を離れてこの論争をみると、「百人斬り競争」を事実であるとするためには、多くの有力な反論や疑問点を論破しなければ、虚偽である可能性が高くなるばかりです。
なぜなら、ここでの立証責任は事実を主張する側にあるからです。
>「戦闘中の行為としてはおよそ不可能な行為だが、ほとんどは戦闘終了後の捕虜「処分」時に行われたと考えられる(志々目手記、望月手記にも示されている)。」 ということなのか。
ご推察の通りだと思います。
判決文がサイト上で入手できず、裁判官の判断が何によっているのか不明なところがありますが、サイトから拾ってきた判決の一部から考えてみます。
控訴審判決の一部(①②は、私の記入)
『事件として比較的広く知られ,かつ,何が真実かをめぐって論争を呼ぶような歴史的事実に関する表現行為について,当該行為(故人の生前の行為に関する事実摘示又は論評)が故人に対する遺族の敬愛追慕の情を違法に侵害する不法行為に該当するものというためには,その前提として,少なくとも,故人の社会的評価を低下させることになる摘示事実又は論評若しくはその基礎事実の重要な部分が全くの虚偽であることを要するものと解するのが相当であり,その上で,当該行為の属性及びこれがされた状況(時,場所,方法等)などを総合的に考慮し,当該行為が故人の遺族の敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害するものといい得る場合に,当該行為について不法行為の成立を認めるのが相当である。』
『南京攻略戦当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務,1本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても,本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について,同記事の内容を信じることはできないのであって,同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。①
しかしながら,その競争の内実が本件日日記事の内容とは異なるものであったとしても,次の諸点に照らせば,両少尉が,南京攻略戦において軍務に服する過程で,当時としては,「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず,本件日日記事の「百人斬り競争」を新聞記者の創作記事であり,全くの虚偽であると認めることはできないというべきである。②』
問題は、①と②が異なる点です。
その根拠は、②の「次の諸点に照らせば」にあるのですが、この肝心な点が不明です。(苦笑)
そこで、①と②の違いから推測してみましょう。
①で当時報道された毎日新聞の「記事の内容を信じることはできない」というのは、当時の浅海記者と同行した大阪毎日の元カメラマン佐藤振寿氏の「あれは全くの法螺話」との法廷証言が影響していると思います。
しかし、②の『「百人斬り競争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず』とは、①の「戦闘戦果」ではなく、「本多勝一記事、志々目手記、望月手記などによる捕虜の処分や農民の殺害」などを指すものだろうと考えます。
ところで、この裁判は控訴人の遺族側に立証責任があり、本多勝一・元朝日新聞記者の取材した中国人の証言、志々目手記、望月手記が「全くの虚偽である」と証明することが求められました。
これは、非常にハードルの高い、困難な基準ですね。これがこの裁判の特異性です。
そして、「全くの虚偽である」と控訴人が立証していないと裁判官が判断したため、敗訴となりました。
といっても、「百人斬り競争」が事実であると裁判所が判断したのではありません。
逆に、裁判を離れてこの論争をみると、「百人斬り競争」を事実であるとするためには、多くの有力な反論や疑問点を論破しなければ、虚偽である可能性が高くなるばかりです。
なぜなら、ここでの立証責任は事実を主張する側にあるからです。
これは メッセージ 4060 (pretzs002 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/4063.html