Re: 日露戦争は韓国侵略戦争か
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/04/26 22:28 投稿番号: [3927 / 7270]
>大統領、発狂したのでしょうか?
>自国の国益を考えているとは思えませんです。
>↓こちらの問題などは、素人目でも「輸出立国」にはそうとう厳しい事態が進行中に見えますですよ。
穏便な兎亀さんにそう言われては、ノムヒョンもホンマもんかも知れませんね。(笑)
『韓半島の侵略戦争としての日露戦争』について、韓国政府からの正式資料が出ましたので、下に貼り付けておきます。
竹島については、日露戦争以前の資料。
日露戦争と朝鮮半島の状況については、李朝の退廃と国際情勢をすっぽり抜かすと、こうした一方的な資料になってしまいますね。
当時の李朝・韓国は国家と呼べるものではなかったという認識が必要です。
国力の根幹である経済力は、「ウォン高・原油高・金利高」の3点セットの方が大変で、二極化(貧富格差)と現代自動車の不正資金問題と併せて、韓国経済は危機が続くでしょう。
「経済」トピにインプさんが投稿されているのですが、相変わらず、外為の攻防が続いています。(笑)
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大韓民国大使館
政府報道資料
Title 日本の独島侵奪史(参考資料)
Date 2006-04-26
http://www.mofat.go.kr/fe/e_a001/e_jpjp/e_jpjp_a05/1202747_21871.html
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呉善花著「韓国併合への道」より。
『1885(明治18)年4月15日、イギリスが突然、朝鮮半島の多島海諸島の一つの巨文島を占領した。アフガニスタンでの交渉が決裂し、ロシアの太平洋艦隊が朝鮮半島の永興湾一帯の占領へ動こうとする機先を制したのである。巨文島を基地にすれば、ウラジオストック封鎖を狙う事も出来る。4月23日には、イギリス・アジア艦隊の殆んどが巨文島に集結した。
この問題でも、李朝の如何ともし難い国家衰亡と人々の国家意識の欠如が露わになっている。
巨文島からも、周辺の沿岸一帯からも、政府への報告が全く無かったのである。李朝政府がそれを知ったのは、4月15日、日本の近藤臨時代理大使からの報告を受けてからだった。しかも、報告を受けた国王も政府も殆んど関心を示さず、抗議するどころか何等の政治行動も執ろうとしなかったのである。
イギリスは巨文島占領を李朝に通告する事無く、イギリス駐在清国大使の曾紀澤に伝えた。李朝をあくまで清国の属国とみなす立場からである。しかも曾紀澤は、李朝政府には勿論の事、清国政府にすら連絡もせず、簡単に占領を了承してしまっている。
最早李朝の主体など、何処にも無かったと言ってよい。
李鴻章は5月10日、巨文島占領問題について、国王高宗に、凡そ次の様な内容の警告書を提出している。』
『これによって、李朝政府は始めて事態の深刻さを悟った。李朝政府は急遽、清国の軍艦にメルレンドルフらを便乗させて巨文島に派遣し、イギリス・アジア艦隊と交渉するが、適当にあしらわれて追い返されている。
李朝政府は次に、アメリカに対して、軍事教官依頼の代償として、巨文島をアメリカ東洋艦隊の石炭燃料貯蔵基地として永久貸与する事を申し出た。しかし、当時のアメリカには、イギリスとロシアに対抗する意図も実力も無かった為、李朝の申し出を受けなかった。
だが清国は、巨文島問題について不干渉政策を執り、イギリスに対して特に強く抗議する事無く、その交渉を李朝に一任したとは言っても、宗主国としての権利を放棄した訳では無かった。勿論、ロシアに対する防波堤としての効果を計算したからであり、当面其の侭にして様子を見る事に為たのである。
清国がイギリスとロシアの双方に働き掛けた事によって、巨文島からイギリス軍が撤退したのは、2年後の1887(明治20)年3月の事だった。』
>自国の国益を考えているとは思えませんです。
>↓こちらの問題などは、素人目でも「輸出立国」にはそうとう厳しい事態が進行中に見えますですよ。
穏便な兎亀さんにそう言われては、ノムヒョンもホンマもんかも知れませんね。(笑)
『韓半島の侵略戦争としての日露戦争』について、韓国政府からの正式資料が出ましたので、下に貼り付けておきます。
竹島については、日露戦争以前の資料。
日露戦争と朝鮮半島の状況については、李朝の退廃と国際情勢をすっぽり抜かすと、こうした一方的な資料になってしまいますね。
当時の李朝・韓国は国家と呼べるものではなかったという認識が必要です。
国力の根幹である経済力は、「ウォン高・原油高・金利高」の3点セットの方が大変で、二極化(貧富格差)と現代自動車の不正資金問題と併せて、韓国経済は危機が続くでしょう。
「経済」トピにインプさんが投稿されているのですが、相変わらず、外為の攻防が続いています。(笑)
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大韓民国大使館
政府報道資料
Title 日本の独島侵奪史(参考資料)
Date 2006-04-26
http://www.mofat.go.kr/fe/e_a001/e_jpjp/e_jpjp_a05/1202747_21871.html
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呉善花著「韓国併合への道」より。
『1885(明治18)年4月15日、イギリスが突然、朝鮮半島の多島海諸島の一つの巨文島を占領した。アフガニスタンでの交渉が決裂し、ロシアの太平洋艦隊が朝鮮半島の永興湾一帯の占領へ動こうとする機先を制したのである。巨文島を基地にすれば、ウラジオストック封鎖を狙う事も出来る。4月23日には、イギリス・アジア艦隊の殆んどが巨文島に集結した。
この問題でも、李朝の如何ともし難い国家衰亡と人々の国家意識の欠如が露わになっている。
巨文島からも、周辺の沿岸一帯からも、政府への報告が全く無かったのである。李朝政府がそれを知ったのは、4月15日、日本の近藤臨時代理大使からの報告を受けてからだった。しかも、報告を受けた国王も政府も殆んど関心を示さず、抗議するどころか何等の政治行動も執ろうとしなかったのである。
イギリスは巨文島占領を李朝に通告する事無く、イギリス駐在清国大使の曾紀澤に伝えた。李朝をあくまで清国の属国とみなす立場からである。しかも曾紀澤は、李朝政府には勿論の事、清国政府にすら連絡もせず、簡単に占領を了承してしまっている。
最早李朝の主体など、何処にも無かったと言ってよい。
李鴻章は5月10日、巨文島占領問題について、国王高宗に、凡そ次の様な内容の警告書を提出している。』
『これによって、李朝政府は始めて事態の深刻さを悟った。李朝政府は急遽、清国の軍艦にメルレンドルフらを便乗させて巨文島に派遣し、イギリス・アジア艦隊と交渉するが、適当にあしらわれて追い返されている。
李朝政府は次に、アメリカに対して、軍事教官依頼の代償として、巨文島をアメリカ東洋艦隊の石炭燃料貯蔵基地として永久貸与する事を申し出た。しかし、当時のアメリカには、イギリスとロシアに対抗する意図も実力も無かった為、李朝の申し出を受けなかった。
だが清国は、巨文島問題について不干渉政策を執り、イギリスに対して特に強く抗議する事無く、その交渉を李朝に一任したとは言っても、宗主国としての権利を放棄した訳では無かった。勿論、ロシアに対する防波堤としての効果を計算したからであり、当面其の侭にして様子を見る事に為たのである。
清国がイギリスとロシアの双方に働き掛けた事によって、巨文島からイギリス軍が撤退したのは、2年後の1887(明治20)年3月の事だった。』
これは メッセージ 3926 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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