日露戦争は韓国侵略戦争か③
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/04/25 21:34 投稿番号: [3924 / 7270]
『李容九をリーダーとする一進会が進めた日韓合邦運動に就いては、・・・併合時の統監府の資料では約14万と報告されている。』
『日清戦争を経て日露が決定的に対立するに至る迄に、政府、官僚、東学、独立クラブ等は、何れも、韓国が自立・独立国家への道を歩む為の指導原理を指し示す事が出来なかった。彼等が夫々の立場や枠を超えて大同団結し、挙国一致の民族的な結集を目指そうとする、連帯運動への動きも起きる事が無かった。』
『一進会が日露戦争時にソウルから新義州までの鉄道敷設で日本軍に協力し、日韓攻守同盟の強化によるロシア排撃を主張したのも、当時の韓国の執るべき道は何かと言う情勢判断からすれば、何等不思議な事ではない。また一進会の会員達は、北方への軍需品の輸送・運搬に就いても多数の人を駆り出して協力している。』
『西欧列強の力を当てにする者達も居たが、仮令それで日本を排除出来たとしても、西欧諸国が挙って韓国の中立維持の為に力を尽す理由は何処にも無かった。却って中国の様に、列強諸国による利権切り取り合戦が更に凄まじく展開される可能性の方が大きかった。しかも、日本が満州を確保したとは言え、ロシアの脅威は全く去った訳では無かった。
何れにしても、当時の状況で、もし韓国が独立出来たとしても、再び王室派、守旧派、親露派、親日派、親米派などの内部抗争が展開される事は目に見えていた。
日韓合邦論は、以上述べた様な理念と実際的な国内・国際情勢から出て来たものである。』
『李朝−韓国の側の「併合への道を齎した原因」を徹底して解明して行こうとする動きは、少なくとも韓国内部からは現在に至るまで出て来てはいない。要するに、自らの側に外国による統治を招来させてしまった要因を探り当て、其処に深い反省を寄せて現在から未来への展望を持とうとする気持ちが、解放直後の韓国知識人の間に生れる事も無く、今尚、欠落した侭なのである。
私に言わせれば、李朝−韓国の積極的な改革を推進しようとしなかった政治指導者達は、一貫して日本の統治下に入らざるを得ない道を自ら大きく開いて行ったのである。彼等は国内の自主独立への動きを自ら摘み取り、独自に独立国家への道を切り開こうとする理念も無ければ指導力も無かった。
既に述べた様に、韓国独立への道が開かれる可能性は、金玉均らによる甲申政変の時点と、彼等を引き継いだ開化派の残党が甲午改革を自主的・積極的に推進して行こうとした時点に有った。李朝は何れの場合も自らの手を以って、それ等の国内改革の動きを潰したのである。前者は清国を恃みとして、後者はロシアを恃みとして、弾圧した。
以後の李朝−韓国に独立への可能性は全く無かった。そこで登場したのが、李容九率いる一進会だった。彼等は国家への絶望から出発し、民族の尊厳の確保を目指して日韓合邦運動に挺身した。その結果は日本による韓国の併合だった。
併し乍ら、少なくとも民族の尊厳の確保に賭けて大アジア主義を掲げ、国内で最大限の努力を傾けた李容九らを「売国奴」と決め付け、国内では表立った活動をする事無く、外国で抗日活動を展開した安昌浩や李承晩らを、「愛国者・抗日の闘士」と高く評価するバランスシートは、私には全く不当なものと思える。』(了)
『日清戦争を経て日露が決定的に対立するに至る迄に、政府、官僚、東学、独立クラブ等は、何れも、韓国が自立・独立国家への道を歩む為の指導原理を指し示す事が出来なかった。彼等が夫々の立場や枠を超えて大同団結し、挙国一致の民族的な結集を目指そうとする、連帯運動への動きも起きる事が無かった。』
『一進会が日露戦争時にソウルから新義州までの鉄道敷設で日本軍に協力し、日韓攻守同盟の強化によるロシア排撃を主張したのも、当時の韓国の執るべき道は何かと言う情勢判断からすれば、何等不思議な事ではない。また一進会の会員達は、北方への軍需品の輸送・運搬に就いても多数の人を駆り出して協力している。』
『西欧列強の力を当てにする者達も居たが、仮令それで日本を排除出来たとしても、西欧諸国が挙って韓国の中立維持の為に力を尽す理由は何処にも無かった。却って中国の様に、列強諸国による利権切り取り合戦が更に凄まじく展開される可能性の方が大きかった。しかも、日本が満州を確保したとは言え、ロシアの脅威は全く去った訳では無かった。
何れにしても、当時の状況で、もし韓国が独立出来たとしても、再び王室派、守旧派、親露派、親日派、親米派などの内部抗争が展開される事は目に見えていた。
日韓合邦論は、以上述べた様な理念と実際的な国内・国際情勢から出て来たものである。』
『李朝−韓国の側の「併合への道を齎した原因」を徹底して解明して行こうとする動きは、少なくとも韓国内部からは現在に至るまで出て来てはいない。要するに、自らの側に外国による統治を招来させてしまった要因を探り当て、其処に深い反省を寄せて現在から未来への展望を持とうとする気持ちが、解放直後の韓国知識人の間に生れる事も無く、今尚、欠落した侭なのである。
私に言わせれば、李朝−韓国の積極的な改革を推進しようとしなかった政治指導者達は、一貫して日本の統治下に入らざるを得ない道を自ら大きく開いて行ったのである。彼等は国内の自主独立への動きを自ら摘み取り、独自に独立国家への道を切り開こうとする理念も無ければ指導力も無かった。
既に述べた様に、韓国独立への道が開かれる可能性は、金玉均らによる甲申政変の時点と、彼等を引き継いだ開化派の残党が甲午改革を自主的・積極的に推進して行こうとした時点に有った。李朝は何れの場合も自らの手を以って、それ等の国内改革の動きを潰したのである。前者は清国を恃みとして、後者はロシアを恃みとして、弾圧した。
以後の李朝−韓国に独立への可能性は全く無かった。そこで登場したのが、李容九率いる一進会だった。彼等は国家への絶望から出発し、民族の尊厳の確保を目指して日韓合邦運動に挺身した。その結果は日本による韓国の併合だった。
併し乍ら、少なくとも民族の尊厳の確保に賭けて大アジア主義を掲げ、国内で最大限の努力を傾けた李容九らを「売国奴」と決め付け、国内では表立った活動をする事無く、外国で抗日活動を展開した安昌浩や李承晩らを、「愛国者・抗日の闘士」と高く評価するバランスシートは、私には全く不当なものと思える。』(了)
これは メッセージ 3923 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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