李泰鎭論文集の書評
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2006/04/12 03:33 投稿番号: [3843 / 7270]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0 bel&sid=1835396&mid=3253
↑ここでリンクした記事に「『民族主義実証史学』を掲げる韓国史学界は今、四方からの挑戦に直面している」と書かれていた
「挑戦」らしきものがありました。
↓「高宗の業績を過剰強調...王政克服問題意識不在」金載昊 / 全南大・経済史
http://www.geocities.jp/pringles_cat/history/kyosu_20040714.html
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‘高宗時代の再照明’は、1997年から1999年にかけて発表された李泰鎭ソウル大教授の高宗時代に関する論考を集めた論文集であり、 ‘高宗時代の国家財政研究’は故ギム・デズン延世大教授の博士学位論文(‘朝鮮王朝末葉の国家財政に関する研究(1895〜1910)’・延世大・1974)を再び組版をして刊行したものだ(以下‘再照明’、‘研究’に略する)。
〜略〜
‘再照明’に於いて李泰鎭教授は著作の目的を、我が国の近代史に対する否定的な偏見を直す為だと明らかにしている。著者は、韓国の社会科学者達が“今日の社会科学的主題達を、私達の歴史を通じて見ようとする視覚を殆ど持っていない”と慨嘆しているのだが、このような韓国の社会科学界の現象に対しては社会科学者の一員である評者も大きく共感しているし、幾ら強調しても度が外れない思う。しかしその原因が植民地併合の衝撃による韓国史に対する“否定的認識”の為だとし、順ってそれを肯定的なものへと直さなければならないというのは余りに素朴な診断だと考える。
韓国の社会科学者の大部分が、韓国史、更に正確には歴史一般に大きく関心を持たない事は、どんな偏見の為だと言うよりは、社会科学理論を、それが生成された視空間(表象)に対する理解無しに受け入れている浅薄さからであり、今でもなお社会科学理論の開発者(maker)では無く、理論を学習する収容者(taker)の段階に満足している幼稚さの為だと言わなければならない。そして此の様な問題の根本には、社会科学的主題を正面から対する事が出来ないラジカルな姿勢の不足さが明らかなのだが、これは我が国の政治経済的位置から始まったものだ(辺方性)。此の様な社会科学であるから、“今日の社会科学的主題”を十分に解き明かす事を期待するのは難しいだろう。著者も同意する如く、如何なる社会科学理論の理解・開発・適用が、人間の社会的経験の総体である歴史に対する通察も無しに可能となるのか。そうではあるが、自国の歴史を肯定的なものとして作り上げたり、主観過剰の研究をしたら、我が国の社会科学の問題解決には何らの助力に為る事が出来ないだけでなく、韓国史に対しても自害行為になるだろう。
〜略〜
最後に、‘再照明’は1902年に設立された皇帝直属の益聞社を抗日情報機関として評価し、大韓帝国が充分に為された近代的国家体制を整えていた証拠として提示している。官民の全ての動向を監視して“自由民権に託けて専制政治を誹謗し、政府得失を評論して人心を煽動する者”を探知する事を任務にした益聞社。 ‘大韓帝国政’下の君民一体の‘民国政治’の実状がどの様なものだったのかを見せてくれる証拠であっても、どうして抗日情報機関として評価する事が出来るのか問いたい。著者は甲申の変、甲午改革、独立協会に繋がる近代化努力を、皆、日帝と結託した権力簒奪企図として評価を切下げしている事なので、高宗皇帝は多少遅れた感も無くもないが当に自身を認める後援者を得たと言う筈だ。
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>順ってそれを肯定的なものへと直さなければならないというのは
>余りに素朴な診断だと考える。
「素朴な診断」・・・「素朴な診断」・・・、李教授も大統領も「素朴な」人達だったんですね(「素朴」すぎるのも「近所迷惑」だなあ)
これは メッセージ 1 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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