JITRAという町
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/03/23 22:34 投稿番号: [3700 / 7270]
赤城艦長も仰ってられますが。
JITRAという町はマレーシアにはありません。
JITRA(ジトラ、ジットラ)と言うのは「ジットラ・ライン」と呼ばれた、英軍の主防御陣地線の事ですね。
マレー西部のアロースター(Alor
Setar
英軍の航空基地がありました)から、タイ国境線沿いに設けた、複合防御陣地群の事です。
1941年12月8日未明、第25軍はタイ-マレー国境付近のシンゴラ・パタニー(第5師団)、マレー領のコタ・バル(第18師団)に上陸作戦を敢行。
*近衛師団は、バンコクからタイ国内を南下、12月12日、シンゴラ攻略開始。
12月12日〜15日までに、ジットラ・ラインを守る英軍第6旅団、第15旅団、英印軍第9師団第8旅団を撃破し、即日南下。
その後近衛師団と第5師団は、イポー、クアラルンプール、クルアン、と攻略戦を展開しつつ南下。
(この間、英軍第6、第12、第15、第27、第28旅団、豪州軍第8師団第27旅団と交戦。英軍戦力は3個師団)
第18師団はコタバル、クアンタン、ムルシンで、英印軍第9師団、豪州軍第8師団第22旅団と交戦しつつ南下。(英連邦戦力は1個師団半)
1942年1月31日、第25軍はシンガポール対岸のジョホール・バルを攻略。
1941年12月8日から、55日間で約1100km。東京〜下関間に相当する距離を、敵軍と激戦を交わしながら突破しています。
進軍するだけでも、強行軍です(密林の道なき道、ですから)
到底、「占領した町で、略奪暴行」なんて「暇な事」をする余裕なんてありません。
マレー攻略は「時間との勝負」でしたから。
時間がかかればその分、英軍の防御線構築が完成してしまう。
そうなれば、攻略に多大な犠牲が出るところか、攻略自体頓挫してしまう。
で、あればこそ、第25軍は兵站(補給)を無視してまで性急に突進したのです。
無論、戦闘の巻添えを食らった民間人もいらっしゃったでしょうが。
マレー攻略戦での「略奪・暴行」は聞きませんね。
*当時のマレー半島の華僑は、国民党支持か、共産主義者か、いずれかでしたから。(国民党支持のほうが、多数派でしたか)
兎に角、反日・排日意識が強烈でした。
開戦前のシンガポールでは、華僑の大規模デモで、日本人街が危うく焼き討ちになる寸前まで行きましたから。
そんな「老華僑」でしたら、当時の事は良く覚えているでしょうけどね・・・
これは メッセージ 3692 (chiemieverett さん)への返信です.
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