>日帝時代
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/01/20 23:54 投稿番号: [3397 / 7270]
>実態を知らない世代が後の教育により観念的に日帝残虐説を信じているとしたら、そして真実に口をつぐんでいる老人たちが亡くなってしまうとしたら、ますます純粋培養による観念が固定化するのでしょうか。
一年近く前だったか、「日本人反省」トピに飛び込んできた韓国人は、「日帝の蛮行は許さない。でも賠償しろと言わなし、これからは仲良くやりたい。だけど反省だけはして欲しい」という主張でした。
皆さんの、「何を反省すればいいのか」という質問には、「従軍慰安婦、強制連行など」と定型的な返答のため集中砲火を浴びました。(笑)
また、これ↓を提示したところ、「そんな見方をする老人がいるとは初めて聞いた。もうこのカテには来ない」と言って消えて行きました。(笑)
不都合な情報をシャット・アウトされた世界に住んでいるようです。
>>「日本の植民地時代を顧みて」
>>ー朝鮮は日本の植民地になったお陰で生活水準がみるみる向上したー
>>元韓国・仁荷大学教授朴贊雄
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi41_text02.html
当時の韓国人の気持ちを知るには、このカテでいうと、「◆コリア関連書籍◆」の過去ログの中に、いいものがありますね。
以下は、そこから拾ったネタで。
たとえば、小説家でもあり、「朝鮮日報」の主筆であった鮮于輝(ソヌ・ヒ,1922年生まれ)の文章。
『父は70歳頃までも、米一俵位は、両手でもって軽くなげる位の体力をもった人であった。その父が生涯を通じて恐れたのは、実に日本人の警官であった。
一緒に歩いていたところ、急にかしこまった父が低く頭を下げるのを見て、その相手が誰であるかを知って、よく幻滅を感じたものである。ほとんどの場合それが若い日本人警官であったからである。
年頃になった私が、「何も悪いことをしていないのに、そんなにまでへり下る必要がありますか」と問いただしたところ、父は泰然とした顔で、「人間というものは、巡査の恐ろしさを知らなくちゃ」と答えたのである。父の言葉に含まれた意味は、「人間は法を守ることが大切だ」という遵法精神であったように思われるが、若い時分は、父のそういう態度が只只恥ずかしいだけであった。
そういう父の「善良性」がだんだん変わっていったのは、いわゆる満州事変、支那事変、大東亜戦争とますます戦争状態が甚だしくなったのと正比例する。その原因は日常生活が実際におびやかされるようになったことと、韓国人としての伝統的生き方の基本がだんだんおかしくなって来たことによると思う。
太平洋戦争がすすむにつれて、父は、警官を恐れながらも、だんだん警官のいうことをきかなくなっていった。いわば法を守らなくなったのである。その時の父の脳裏には、骨身に沁むほど経験した李朝末の無法と、日本の戦争遂行のための無法が重なったに違いない。』
この文章を歪曲すると、「日本の官憲は酷かった」となりますが、よく読むと、「朝鮮人には遵法精神がなく、日本の官憲を通じて学んだ」ことが分かります。李朝の朝鮮人の実態を知る人は、即座に納得するでしょう。
なお、「日本の戦争遂行のための無法」とはこの文章の後に出てきますが、「米の供出」のことで、「戦時中の食糧難に配給米を確保するために、警察官を伴った役人が農家を訪れて、隠し米の摘発などを行ったもので、法律に基づく行為であり、日本の農家でも同じであったし、代金を払っているので、強奪ではない」という理解が必要です。
それに対して、「骨身に沁むほど経験した李朝末の無法」とは。
李氏朝鮮末期の代表的な知識人だった李人稙(1862-1916)の小説「血の涙」での詩。
両班達が国を潰した。
賎民は両班に鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平をいえない。
少しでも値打ちがある物を持っていれば、両班が奪ってゆく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句を言うのは禁物だ。
両班の前では、まったく無力な賎民は、自分の財産、妻だけではなく、
生命すらその気ままに委ねられている。
口ひとつ間違えばぶっ叩かれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
したがって、「骨身に沁むほど経験した李朝末の無法」と「日本の戦争遂行のための無法」とは、比較になりません。(笑)
この著者自身は1922年生まれで、「骨身に沁むほど経験した李朝末の無法」を知らない世代ですね。
一年近く前だったか、「日本人反省」トピに飛び込んできた韓国人は、「日帝の蛮行は許さない。でも賠償しろと言わなし、これからは仲良くやりたい。だけど反省だけはして欲しい」という主張でした。
皆さんの、「何を反省すればいいのか」という質問には、「従軍慰安婦、強制連行など」と定型的な返答のため集中砲火を浴びました。(笑)
また、これ↓を提示したところ、「そんな見方をする老人がいるとは初めて聞いた。もうこのカテには来ない」と言って消えて行きました。(笑)
不都合な情報をシャット・アウトされた世界に住んでいるようです。
>>「日本の植民地時代を顧みて」
>>ー朝鮮は日本の植民地になったお陰で生活水準がみるみる向上したー
>>元韓国・仁荷大学教授朴贊雄
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi41_text02.html
当時の韓国人の気持ちを知るには、このカテでいうと、「◆コリア関連書籍◆」の過去ログの中に、いいものがありますね。
以下は、そこから拾ったネタで。
たとえば、小説家でもあり、「朝鮮日報」の主筆であった鮮于輝(ソヌ・ヒ,1922年生まれ)の文章。
『父は70歳頃までも、米一俵位は、両手でもって軽くなげる位の体力をもった人であった。その父が生涯を通じて恐れたのは、実に日本人の警官であった。
一緒に歩いていたところ、急にかしこまった父が低く頭を下げるのを見て、その相手が誰であるかを知って、よく幻滅を感じたものである。ほとんどの場合それが若い日本人警官であったからである。
年頃になった私が、「何も悪いことをしていないのに、そんなにまでへり下る必要がありますか」と問いただしたところ、父は泰然とした顔で、「人間というものは、巡査の恐ろしさを知らなくちゃ」と答えたのである。父の言葉に含まれた意味は、「人間は法を守ることが大切だ」という遵法精神であったように思われるが、若い時分は、父のそういう態度が只只恥ずかしいだけであった。
そういう父の「善良性」がだんだん変わっていったのは、いわゆる満州事変、支那事変、大東亜戦争とますます戦争状態が甚だしくなったのと正比例する。その原因は日常生活が実際におびやかされるようになったことと、韓国人としての伝統的生き方の基本がだんだんおかしくなって来たことによると思う。
太平洋戦争がすすむにつれて、父は、警官を恐れながらも、だんだん警官のいうことをきかなくなっていった。いわば法を守らなくなったのである。その時の父の脳裏には、骨身に沁むほど経験した李朝末の無法と、日本の戦争遂行のための無法が重なったに違いない。』
この文章を歪曲すると、「日本の官憲は酷かった」となりますが、よく読むと、「朝鮮人には遵法精神がなく、日本の官憲を通じて学んだ」ことが分かります。李朝の朝鮮人の実態を知る人は、即座に納得するでしょう。
なお、「日本の戦争遂行のための無法」とはこの文章の後に出てきますが、「米の供出」のことで、「戦時中の食糧難に配給米を確保するために、警察官を伴った役人が農家を訪れて、隠し米の摘発などを行ったもので、法律に基づく行為であり、日本の農家でも同じであったし、代金を払っているので、強奪ではない」という理解が必要です。
それに対して、「骨身に沁むほど経験した李朝末の無法」とは。
李氏朝鮮末期の代表的な知識人だった李人稙(1862-1916)の小説「血の涙」での詩。
両班達が国を潰した。
賎民は両班に鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平をいえない。
少しでも値打ちがある物を持っていれば、両班が奪ってゆく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句を言うのは禁物だ。
両班の前では、まったく無力な賎民は、自分の財産、妻だけではなく、
生命すらその気ままに委ねられている。
口ひとつ間違えばぶっ叩かれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
したがって、「骨身に沁むほど経験した李朝末の無法」と「日本の戦争遂行のための無法」とは、比較になりません。(笑)
この著者自身は1922年生まれで、「骨身に沁むほど経験した李朝末の無法」を知らない世代ですね。
これは メッセージ 3391 (tydkemvo さん)への返信です.
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