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れRe: >軍人の「役人化」

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/01/16 02:03 投稿番号: [3345 / 7270]
>>kuuboakagiさんの「〜関東軍は好き勝手をやっていたのでは〜実際は違っていたようでありまして〜」

>   ↑このような軍関連の当時の事情を細かく上げてゆくと「戦前は軍部の独裁云々」はどんどん説得力を失っていくように思われます。

バランスをとるために追加します。

関東軍では現地工作の金100円もままならなかったのは事実でした。これに必要な金は橋本欣五郎が国内で工面して送りました。

満州事変だけでは国内改革が出来ないと思った橋本たちは桜会を中心としたクーデター計画、いわゆる10月事件をおこします。これは露見して未遂に終わるのですが、逮捕された橋本を救おうと板垣征四郎が満州から軍本部に「関東軍独立宣言」の電報を送ります。もちろん、これは板垣が石原等と示し合わせて勝手に個人的に打ったものですが、これを見た永田鉄山軍事課長、杉山次官、南陸相は仰天します。

軍中央は、関東軍司令官、師団長、憲兵隊、混成旅団、守備隊の隊長などに独立は思いとどまれという電報を打ちまくります。これを受け取った責任者は唖然としたでしょう。何のことかわからないのですから。

あとで石原、板垣が打ったのでは、と疑いますが、二人ともとぼけてしまいます。

10月事件の後、石原は陸軍省兵務局へとばされ、他の関係者も閑職に左遷されます。その後、満州国で力を振るったのは事変には反対であった小磯国明、東條英機、岡村寧次等でした。

更に時間が経って、満州事変の張本人であった石原が対中融和策を取るようになり、関東軍新主流派の対中強攻策に反対するようになるのは皮肉です。こう見ると、関東軍が時間軸で見て一本の筋で纏まっていたというのは間違いです。

石原の新たな対中融和姿勢と、武藤章等の新関東軍派の対立も興味あるエピソードに溢れていますが省略します。

橋本との関係では、のちの2.26事件の青年将校たちは桜会を「宴会派」と呼び、軽蔑するようになるのですが、これは2グループの肌合いの違いでしょう。
トルコのケマルパシャに私淑していた橋本を、「ケマルが、ケマルが・・」という人間だったと非難するのですが、これを聞いた橋本が、俺も日本人だよ、と言ったという話もあります。金銭には恬淡としていたのは事実らしく、財産は全く無く、戦後参院選に出て落選したりしましたが、死んだときは100円の金も残っていなかったという話もあります。
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