朝まで②
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 20:38 投稿番号: [3157 / 7270]
政府と統帥部のギャップ
猪瀬 簡単に説明すると、軍隊を統率している統帥部というものがあり、もうひとつはいまと同じく総理大臣がいて政府がある。このふたつを統一しているものは天皇の大権であると。すると、統帥部が勝手に走っていっちゃうと、政府のほうが困るわけですね。それを調停するのは天皇しかいない。だけど天皇はまあハンコを押す人ですから。そこで、戦争が始まる少し前に、政府と統帥部−−これは戦時には大本営ですね−−政府と大本営が、連絡を取り合い一緒に話し合わないと、戦争なんてできないじゃないかということで、政府大本営連絡会議(大本営政府連絡会議とも)というものができた。
田原 近衛(文麿)さんのときにできた。1937年。
猪瀬 これを開けば政府も統帥部もそれぞれの方向へ行かずに、ひとつの意思決定ができるんではないかということだった。けれどもそれがなかなかできなかった。ちょっと僕はね、そのことがずっと気になって調べていて、もう20年近く前に『昭和16年夏の敗戦』を書いた。昭和16年(1941年)にどういう問題が起きていたかと。
田原 ちょっと。聞きたい。昭和16年、天皇のどこに問題があったわけ? 太平洋戦争が起こるときに、どんな問題があった?
猪瀬 天皇が関与する意味では、政府大本営連絡会議というのは正式な会議ではなくて、正式な会議は御前会議です。で、御前会議というのは、政府大本営連絡会議で決まった事柄を天皇に報告する。報告すると天皇は、「ん」って顔しているという、まあ一種の形式的なかたちでできあがっているということがいえますね。天皇が個人的にどういったか、いわなかったかという問題はとりあえず置き、制度的な問題はそういうことになっていた。
田原 ちょっと聞きたいけど。昭和16年に戦争が始まった。あのときの責任者は誰だったんですか。本当の責任者は? 天皇がハンコを押すだけの人だとしたら、天皇にまあ責任はないという話になる。僕はそう思わないところがあるんだけど。
猪瀬 責任者は天皇ですよ。ハンコを押すんですから。
田原 ハンコを押すだけで実権がないとすれば、実権は誰にあったんですか?
猪瀬 それは当時の政府と統帥部。政府は、東条英機が最後のところで総理大臣になりますから、東条にひとつ責任があります。統帥部は陸軍と海軍ですね。大本営です。陸軍は参謀本部、海軍は軍令部。それぞれトップが参謀総長と軍令部長(のちに軍令部総長)。つまり陸軍のいちばん中心になる人と、海軍のいちばん中心になる人。作戦を立てたり、いろんなこと決める人ですね。この人たちにも責任があります。
政府と陸海軍のトップ、両方に責任がある。両方で話をしてうまくまとめることができなかったわけだから。話がきちんとまとまらないうちに、締め切りだってんで戦争を始めちゃったわけだから。そういう制度的な欠陥と、個人的な欠陥と、ふたつあったと考えたいと思いますね。
田原 個人的っていうのは?
猪瀬 それぞれの個人の問題と、人材的な欠陥ですね。つまりそれぞれの人がきちんと話し合う。で、論理的に詰めていって、やっぱこの戦争やめたほうがいいよという結論を、この不健全で不完全な制度の中でも、行なうことは論理的にできた。
田原 さっきの大本営と政府の連絡会議で、もしも首相の近衛さんがね、あるいは東条さんでもいい、「断固反対!」っていえば、これ通ったわけでしょ?
猪瀬 うーん。だから東条さんが政府の代表として断固反対といっても、統帥部はいや、やりたいといって、調整がつかなければ股裂き状態でしょ。
田原 だって東条英機は41年10月から、首相と陸軍大臣兼任でしょ。
猪瀬 陸軍大臣はあくまでも政府の中の陸軍大臣であって、大本営の偉い人ではないわけですね。統帥部の偉い人ではない。
田原 そうすると? つまりあの戦争は、政府と統帥部の話し合いがつかなくて、バラバラなままで突入しちゃったということですか?
猪瀬 股裂き状態のまま、とりあえずある結論を出さないといけないというヘンな空気ができ上がってきまして、そして締め切り、時間切れというかたちに。
猪瀬 簡単に説明すると、軍隊を統率している統帥部というものがあり、もうひとつはいまと同じく総理大臣がいて政府がある。このふたつを統一しているものは天皇の大権であると。すると、統帥部が勝手に走っていっちゃうと、政府のほうが困るわけですね。それを調停するのは天皇しかいない。だけど天皇はまあハンコを押す人ですから。そこで、戦争が始まる少し前に、政府と統帥部−−これは戦時には大本営ですね−−政府と大本営が、連絡を取り合い一緒に話し合わないと、戦争なんてできないじゃないかということで、政府大本営連絡会議(大本営政府連絡会議とも)というものができた。
田原 近衛(文麿)さんのときにできた。1937年。
猪瀬 これを開けば政府も統帥部もそれぞれの方向へ行かずに、ひとつの意思決定ができるんではないかということだった。けれどもそれがなかなかできなかった。ちょっと僕はね、そのことがずっと気になって調べていて、もう20年近く前に『昭和16年夏の敗戦』を書いた。昭和16年(1941年)にどういう問題が起きていたかと。
田原 ちょっと。聞きたい。昭和16年、天皇のどこに問題があったわけ? 太平洋戦争が起こるときに、どんな問題があった?
猪瀬 天皇が関与する意味では、政府大本営連絡会議というのは正式な会議ではなくて、正式な会議は御前会議です。で、御前会議というのは、政府大本営連絡会議で決まった事柄を天皇に報告する。報告すると天皇は、「ん」って顔しているという、まあ一種の形式的なかたちでできあがっているということがいえますね。天皇が個人的にどういったか、いわなかったかという問題はとりあえず置き、制度的な問題はそういうことになっていた。
田原 ちょっと聞きたいけど。昭和16年に戦争が始まった。あのときの責任者は誰だったんですか。本当の責任者は? 天皇がハンコを押すだけの人だとしたら、天皇にまあ責任はないという話になる。僕はそう思わないところがあるんだけど。
猪瀬 責任者は天皇ですよ。ハンコを押すんですから。
田原 ハンコを押すだけで実権がないとすれば、実権は誰にあったんですか?
猪瀬 それは当時の政府と統帥部。政府は、東条英機が最後のところで総理大臣になりますから、東条にひとつ責任があります。統帥部は陸軍と海軍ですね。大本営です。陸軍は参謀本部、海軍は軍令部。それぞれトップが参謀総長と軍令部長(のちに軍令部総長)。つまり陸軍のいちばん中心になる人と、海軍のいちばん中心になる人。作戦を立てたり、いろんなこと決める人ですね。この人たちにも責任があります。
政府と陸海軍のトップ、両方に責任がある。両方で話をしてうまくまとめることができなかったわけだから。話がきちんとまとまらないうちに、締め切りだってんで戦争を始めちゃったわけだから。そういう制度的な欠陥と、個人的な欠陥と、ふたつあったと考えたいと思いますね。
田原 個人的っていうのは?
猪瀬 それぞれの個人の問題と、人材的な欠陥ですね。つまりそれぞれの人がきちんと話し合う。で、論理的に詰めていって、やっぱこの戦争やめたほうがいいよという結論を、この不健全で不完全な制度の中でも、行なうことは論理的にできた。
田原 さっきの大本営と政府の連絡会議で、もしも首相の近衛さんがね、あるいは東条さんでもいい、「断固反対!」っていえば、これ通ったわけでしょ?
猪瀬 うーん。だから東条さんが政府の代表として断固反対といっても、統帥部はいや、やりたいといって、調整がつかなければ股裂き状態でしょ。
田原 だって東条英機は41年10月から、首相と陸軍大臣兼任でしょ。
猪瀬 陸軍大臣はあくまでも政府の中の陸軍大臣であって、大本営の偉い人ではないわけですね。統帥部の偉い人ではない。
田原 そうすると? つまりあの戦争は、政府と統帥部の話し合いがつかなくて、バラバラなままで突入しちゃったということですか?
猪瀬 股裂き状態のまま、とりあえずある結論を出さないといけないというヘンな空気ができ上がってきまして、そして締め切り、時間切れというかたちに。
これは メッセージ 3156 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3157.html