「植民地朝鮮研究」の動向(道新より)2
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/03/16 03:03 投稿番号: [2165 / 7270]
権錫永「『一国史』の枠
超越を」(続き)
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私が日頃からとくに関心を持っていたのは、三ッ目の植民地近代性の問題である。これは主として植民地期の「近代的主体」の形成にかかわるが、近代的制度(学校・軍隊・医療・収容所・工場)と日常生活全般を視野に入れ、きわめて広範囲にわたって研究が行われている。例えば普通学校を巡っては、授業の時間割や行動指針の規律性などが考察され、工場の労働者に関連しては、朝鮮の工場の労働者がどのように「近代的な労働者」として作られていったかをみる。そこで作られる「近代的主体」は、時間を厳守し、身体を律し、規律正しい主体である。近代的な時間の導入によって、なれない汽車に乗るために、または学校や工場に遅れまいと時刻表や時計を懸命に確認し、分刻みにあるいは秒刻みに時と行動を分節化されることで生れた主体である。
だが、植民地的近代性とは何だろうか。実は、こういった研究は日本でも数多くみられる。例えば「遅刻の誕生」(橋本毅彦・栗山茂久編著 三元社)は、近代的な時間規律が確立していく中でみられた人々のとまどい、努力、葛藤、強制といった「歴史の襞」を多面的に考察したもの。電信柱の敷設にかり出された民衆の「抵抗」、人民の監視・管理・抑圧装置としての電信電話を描いた「明治電信電話ものがたり」(松田裕之著、日本経済評論社)というのもある。
韓国で「(植民地的)」近代性」の名のもとに指摘されていることの多くは、多かれ少なかれ日本の近代社会の問題として指摘されていることでもある。そうだとすれば「近代性」または「植民地的近代性」は、韓国におけるそれが宗主国日本の場合とどう違っていたのか、その比較検討を通して明らかにしていかなければならない。また、両国の重なった歴史を「帝国日本」の歴史として見つめていくことは、日本の近代史研究の大きな課題でもある。
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もう一つ、東大の東洋文化研究所でも国際シンポジウムがあった。そこでは、日本支配の下で発刊された朝鮮の民間新聞が「小権力」として総督府という大きな権力に取り込まれ、政策普及・教化といった形でその力を地方の隅々にまで及ぼす役割を演じたという指摘が興味深かった。これについても「植民地近代性」という言葉が使われたが、日本の新聞の性格と役割が比較検討できれば、それを通して朝鮮の植民地的特性を浮き彫りにすることができ、朝鮮の新聞とのからみで「帝国日本」の断面を描き出すこともできる。
日本側に過去の清算を求めつつも、韓国の歴史研究が強固な態度を崩して、植民地期の問題をここまで柔軟性をもって扱うようになったというのは、ある意味で驚きであり、同時に今後の日韓の歴史研究の一つの方向を明確に示しているようにも思える。現在、政府主導で「日韓歴史共同研究」が推進されてはいるが、こちらは歴史教育・歴史認識の共有を目的とするもので、研究対象は限られざるをえない。前述の近代性や社会史・文化史的な歴史研究も、同様の転換が図られなければ、大きな発展は望めない。
「日韓友情年」という節目の年を迎え、歴史研究も一国史的研究を超え、共同研究の輪が広がっていくことを切に願いたい。そこから生れる研究の多様性と柔軟さは、歴史教育にも影響することになろう。
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私が日頃からとくに関心を持っていたのは、三ッ目の植民地近代性の問題である。これは主として植民地期の「近代的主体」の形成にかかわるが、近代的制度(学校・軍隊・医療・収容所・工場)と日常生活全般を視野に入れ、きわめて広範囲にわたって研究が行われている。例えば普通学校を巡っては、授業の時間割や行動指針の規律性などが考察され、工場の労働者に関連しては、朝鮮の工場の労働者がどのように「近代的な労働者」として作られていったかをみる。そこで作られる「近代的主体」は、時間を厳守し、身体を律し、規律正しい主体である。近代的な時間の導入によって、なれない汽車に乗るために、または学校や工場に遅れまいと時刻表や時計を懸命に確認し、分刻みにあるいは秒刻みに時と行動を分節化されることで生れた主体である。
だが、植民地的近代性とは何だろうか。実は、こういった研究は日本でも数多くみられる。例えば「遅刻の誕生」(橋本毅彦・栗山茂久編著 三元社)は、近代的な時間規律が確立していく中でみられた人々のとまどい、努力、葛藤、強制といった「歴史の襞」を多面的に考察したもの。電信柱の敷設にかり出された民衆の「抵抗」、人民の監視・管理・抑圧装置としての電信電話を描いた「明治電信電話ものがたり」(松田裕之著、日本経済評論社)というのもある。
韓国で「(植民地的)」近代性」の名のもとに指摘されていることの多くは、多かれ少なかれ日本の近代社会の問題として指摘されていることでもある。そうだとすれば「近代性」または「植民地的近代性」は、韓国におけるそれが宗主国日本の場合とどう違っていたのか、その比較検討を通して明らかにしていかなければならない。また、両国の重なった歴史を「帝国日本」の歴史として見つめていくことは、日本の近代史研究の大きな課題でもある。
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もう一つ、東大の東洋文化研究所でも国際シンポジウムがあった。そこでは、日本支配の下で発刊された朝鮮の民間新聞が「小権力」として総督府という大きな権力に取り込まれ、政策普及・教化といった形でその力を地方の隅々にまで及ぼす役割を演じたという指摘が興味深かった。これについても「植民地近代性」という言葉が使われたが、日本の新聞の性格と役割が比較検討できれば、それを通して朝鮮の植民地的特性を浮き彫りにすることができ、朝鮮の新聞とのからみで「帝国日本」の断面を描き出すこともできる。
日本側に過去の清算を求めつつも、韓国の歴史研究が強固な態度を崩して、植民地期の問題をここまで柔軟性をもって扱うようになったというのは、ある意味で驚きであり、同時に今後の日韓の歴史研究の一つの方向を明確に示しているようにも思える。現在、政府主導で「日韓歴史共同研究」が推進されてはいるが、こちらは歴史教育・歴史認識の共有を目的とするもので、研究対象は限られざるをえない。前述の近代性や社会史・文化史的な歴史研究も、同様の転換が図られなければ、大きな発展は望めない。
「日韓友情年」という節目の年を迎え、歴史研究も一国史的研究を超え、共同研究の輪が広がっていくことを切に願いたい。そこから生れる研究の多様性と柔軟さは、歴史教育にも影響することになろう。
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これは メッセージ 2164 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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