李圭泰『韓国人の情緒構造』より
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/01/19 23:30 投稿番号: [2096 / 7270]
>中国人や朝鮮人は人治の歴史故、法治の概念が希薄というか、儒教思想の負の部分が尾を引いているようだ。
孫引きですが、こういうことなのでしょうか・・
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「体質化された弱者心理」という言葉が、李圭泰著『韓国人の情緒構造』(新潮選書1995)に出てくる。韓国人はケンカする前に互いが
相手の方に頬を突き出して、先に殴られる姿勢をとる。つまり先に被害者になろうとすることがあるという。「弱者は強者から守られな
ければならず、劣等者は優秀者から保護されなければならない」という理由からだと、李圭泰氏はその背景を指摘する。
ということは、異議申立てのなかには、不当なものもありえよう。「おれには金もバック(家柄)もないんだから!」とタクシー待ち
の列に割り込みして開き直った「弱者」の例を挙げて、李圭泰はつぎのように指摘している。
「韓国にこうした弱者意識による不法と横暴が横行しており、それに対して断固として対処できないでいるのは、韓国人の心情的構造が
情で成り立っており、その情が不法さえも包み隠す甘えを産んだからだ」
異議申立て的体質は、韓国社会を発展と改革に結びつけることが可能であるっが、「法治」ではなく「人治」社会をいっそう助長する可能性も帯びていると言ってよい。
この点は、外交面で韓国を見つめるときも言えることである。
韓国が八十年代や二〇〇〇年に核関連実験をしていたことが二〇〇四年夏に明らかになったが、この時、ソウルで会った官民の反応は
次のようなものが多かった。
「実験室の水準は低く、抽出したウランの量もわずかだ。日本のマスメディアは核兵器実験をしたかのように騒ぎ過ぎる。日本はプルト
ニウム抽出が可能な大国じゃないか」
一方、ソウルで同じ時に会った全国紙の日本人特派員はこんなことを言っていた。
「少量であれ、何であれ、国際社会との約束に違反
した疑いのあることには変わりない。本来できないような基準でディベート(議論)をしようとする」
韓国が外交的に「小国」なんだという「弱者心理」と非があっても国際社会に「異議申し立て」するんだという気概のようなもの
さえ感じた出来事だ。同時に、これがコミュニケーション・ギャップになりうることも示していよう。 〜後略〜
(小針進「韓国人はこう考えている」P218〜P220)
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>未だにこんなことを言うのは
私の極限られた周辺の感覚では「一種の宣戦布告」と受取られつつあります。
少なくとも日本と「友好的」関係を持つつもりがあるとは(実際はあるのだとしても)感じられないですね。
「李圭泰著『韓国人の情緒構造』(新潮選書1995)」
面白そうな本ですが残念ながら絶版でした(ガッカリ)
孫引きですが、こういうことなのでしょうか・・
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「体質化された弱者心理」という言葉が、李圭泰著『韓国人の情緒構造』(新潮選書1995)に出てくる。韓国人はケンカする前に互いが
相手の方に頬を突き出して、先に殴られる姿勢をとる。つまり先に被害者になろうとすることがあるという。「弱者は強者から守られな
ければならず、劣等者は優秀者から保護されなければならない」という理由からだと、李圭泰氏はその背景を指摘する。
ということは、異議申立てのなかには、不当なものもありえよう。「おれには金もバック(家柄)もないんだから!」とタクシー待ち
の列に割り込みして開き直った「弱者」の例を挙げて、李圭泰はつぎのように指摘している。
「韓国にこうした弱者意識による不法と横暴が横行しており、それに対して断固として対処できないでいるのは、韓国人の心情的構造が
情で成り立っており、その情が不法さえも包み隠す甘えを産んだからだ」
異議申立て的体質は、韓国社会を発展と改革に結びつけることが可能であるっが、「法治」ではなく「人治」社会をいっそう助長する可能性も帯びていると言ってよい。
この点は、外交面で韓国を見つめるときも言えることである。
韓国が八十年代や二〇〇〇年に核関連実験をしていたことが二〇〇四年夏に明らかになったが、この時、ソウルで会った官民の反応は
次のようなものが多かった。
「実験室の水準は低く、抽出したウランの量もわずかだ。日本のマスメディアは核兵器実験をしたかのように騒ぎ過ぎる。日本はプルト
ニウム抽出が可能な大国じゃないか」
一方、ソウルで同じ時に会った全国紙の日本人特派員はこんなことを言っていた。
「少量であれ、何であれ、国際社会との約束に違反
した疑いのあることには変わりない。本来できないような基準でディベート(議論)をしようとする」
韓国が外交的に「小国」なんだという「弱者心理」と非があっても国際社会に「異議申し立て」するんだという気概のようなもの
さえ感じた出来事だ。同時に、これがコミュニケーション・ギャップになりうることも示していよう。 〜後略〜
(小針進「韓国人はこう考えている」P218〜P220)
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>未だにこんなことを言うのは
私の極限られた周辺の感覚では「一種の宣戦布告」と受取られつつあります。
少なくとも日本と「友好的」関係を持つつもりがあるとは(実際はあるのだとしても)感じられないですね。
「李圭泰著『韓国人の情緒構造』(新潮選書1995)」
面白そうな本ですが残念ながら絶版でした(ガッカリ)
これは メッセージ 2092 (kohshien21 さん)への返信です.
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