「〜60年目の夏(15)」
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2004/09/01 00:26 投稿番号: [1600 / 7270]
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99年07月19日
■■ ノモンハン・60年目の夏(15) ■■ 作家 岩田玲文
▼ 冬そしてノモンハン ④ ▼
耳障りでない日本語で意見
雑談を真摯に聴く学生たち
いますこし、雑談風講義の雑談をつづけたい。
学生たちが真摯に私の雑談を聴いてくれるから、つい話に熱が入る。
日本語科の学生たちだから、通訳無しだ。私も学生たちに分かるように、なるべく平易な言葉で話すように心掛けているが、平易な日本語というのが、これがなかなか難しい。ときどきブルガン先生が、「今の言葉はこういう意味ですか?」と訊く。ブルガン先生がよく分からないということは、学生たちにはまったく分からないということだから、私はそこで、さらに易しい日本語を探すということになる。例えば、
「近現代史−というのは、近代史と現代史を一緒くたにした言い方です。日本史の場合、明治維新から大東亜戦争(第二次世界大戦)の終結までを近代史、終戦から今日までを現代史、というように区分しているけど、世界史でいう近代史は近世と同じ意味で、封建社会のあとにはじまる資本主義社会を指し、現代史は第一時世界大戦終結から今日までの歩みです。モンゴルの歴史区分がどうなっているのか、私にはよく分かりませんが、私は自分流に、独立運動のはじまりから社会主義国家の時代を近代史、人民革命党(共産党)の独裁放棄と、それからの民主化への歩みから今日までを現代史、というように分けています。つまり近現代史というのは、近代史と現代史の二つをひとまとめにした歴史区分です。分かりましたかな?」
と、まあこんな調子で雑談が続くわけである。
ひとりの学生が手を挙げた。決して流暢とはいえないがしかし、確かな日本語で、
「先生、これはあくまでも僕個人の意見なんですが、あの友好の塔はいろんな意味で、あのまま残しておくべきだと僕は思います。先生が先程申されたように、僕たちの国が現在こうしてモンゴル人の独立国として、国際連合の加盟国として在るのは、ソビエト・ロシアのお陰です。この恩を忘れてはいけないと思います。と同時にまた、ソビエトの隷属国として七十年間、モンゴル人のモンゴル国は完全に封印されたまま、ただ『モンゴル人民共和国』という紙に書いた国名だけが、地図の上にぺたりと貼られていた、ということも決して忘れてはいけないことだと思います。ですからこの二つのことを忘れないために、あの友好の塔はあっていいと思います」
日本の学生のように(それデェー)(だかラァー)(つまリィー)と、やたら語尾に力を入れて強調し、自分の意見をいやらしく押しつけてくる、あの耳障りな口調でない日本語でそう言った。私は思わず拍手した。ブルガン先生も拍手し、他の学生たちも拍手した。拍手された学生は大いに照れて、小さく何度も何度も頭を下げて会釈した…。
私は、そんな情景を想い出しながら、二百五十四段の石段を登り詰め、塔の内に入って行ったのだが…モザイクの壁画はそのままだった。しかしいつか、そう遠くない日に、壁画の中から土足で踏みつけられている旭日旗が消える日が来る、と私は信じているのである。塔の上空では冬の風が鳴っていた…。
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99年07月19日
■■ ノモンハン・60年目の夏(15) ■■ 作家 岩田玲文
▼ 冬そしてノモンハン ④ ▼
耳障りでない日本語で意見
雑談を真摯に聴く学生たち
いますこし、雑談風講義の雑談をつづけたい。
学生たちが真摯に私の雑談を聴いてくれるから、つい話に熱が入る。
日本語科の学生たちだから、通訳無しだ。私も学生たちに分かるように、なるべく平易な言葉で話すように心掛けているが、平易な日本語というのが、これがなかなか難しい。ときどきブルガン先生が、「今の言葉はこういう意味ですか?」と訊く。ブルガン先生がよく分からないということは、学生たちにはまったく分からないということだから、私はそこで、さらに易しい日本語を探すということになる。例えば、
「近現代史−というのは、近代史と現代史を一緒くたにした言い方です。日本史の場合、明治維新から大東亜戦争(第二次世界大戦)の終結までを近代史、終戦から今日までを現代史、というように区分しているけど、世界史でいう近代史は近世と同じ意味で、封建社会のあとにはじまる資本主義社会を指し、現代史は第一時世界大戦終結から今日までの歩みです。モンゴルの歴史区分がどうなっているのか、私にはよく分かりませんが、私は自分流に、独立運動のはじまりから社会主義国家の時代を近代史、人民革命党(共産党)の独裁放棄と、それからの民主化への歩みから今日までを現代史、というように分けています。つまり近現代史というのは、近代史と現代史の二つをひとまとめにした歴史区分です。分かりましたかな?」
と、まあこんな調子で雑談が続くわけである。
ひとりの学生が手を挙げた。決して流暢とはいえないがしかし、確かな日本語で、
「先生、これはあくまでも僕個人の意見なんですが、あの友好の塔はいろんな意味で、あのまま残しておくべきだと僕は思います。先生が先程申されたように、僕たちの国が現在こうしてモンゴル人の独立国として、国際連合の加盟国として在るのは、ソビエト・ロシアのお陰です。この恩を忘れてはいけないと思います。と同時にまた、ソビエトの隷属国として七十年間、モンゴル人のモンゴル国は完全に封印されたまま、ただ『モンゴル人民共和国』という紙に書いた国名だけが、地図の上にぺたりと貼られていた、ということも決して忘れてはいけないことだと思います。ですからこの二つのことを忘れないために、あの友好の塔はあっていいと思います」
日本の学生のように(それデェー)(だかラァー)(つまリィー)と、やたら語尾に力を入れて強調し、自分の意見をいやらしく押しつけてくる、あの耳障りな口調でない日本語でそう言った。私は思わず拍手した。ブルガン先生も拍手し、他の学生たちも拍手した。拍手された学生は大いに照れて、小さく何度も何度も頭を下げて会釈した…。
私は、そんな情景を想い出しながら、二百五十四段の石段を登り詰め、塔の内に入って行ったのだが…モザイクの壁画はそのままだった。しかしいつか、そう遠くない日に、壁画の中から土足で踏みつけられている旭日旗が消える日が来る、と私は信じているのである。塔の上空では冬の風が鳴っていた…。
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これは メッセージ 1599 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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