朝鮮総督府
投稿者: jalopy2005 投稿日時: 2010/09/23 17:00 投稿番号: [529 / 2941]
今日の東京は昨日の真夏日と打って変わって雨が降ったり止んだり、
そして気温がたいぶ下がり、裸の野人からシャツを着た文化人に変身しました。
旧朝鮮総督府のビルはキョンボックンに密着して塞ぐように建っていましたので、
ぼくは壊してくれて本当によかったとおもっていますが、
韓国の文化を侵食しない範囲で残っているこういう建造物はやはり残してほしいなあと思っています。
高校生の従妹と参鶏湯を食べに「土俗村」に行く途中、旧総督府を眺めながら、激しく議論したことがあります。
もちろん、従妹は壊し賛成、わいは反対。
簡単に申せば、通学(小生、高校からはソウル)で毎日その前を通ったりして、
その建物自体に愛着を持っていたのが第一。見る度に、その威容に圧倒されたものです。
次は、じゃ、壊したら、それの代わりに我々を圧倒してくれる建物、もしくは、それを補うナニかを精神的支柱として我々は持ち合わせているのかという疑問でした。
あの建物を壊すという物理的な行為で、果たしてどれだけ「日帝時代」の清算につながるんだろう。
イルボンが朝鮮に入り、その経緯はどうあれ、日韓が35年間共存していた事実は消せません。
あの建物はとっくに違和感なく大韓の一部になり切っていたわけです。それに屈辱を感じる人は、
海苔巻きも、オデンも、サシミも、ウドンも、そーめんも、学ランも、漢字語も・・・ありとあらゆるイルボン文化を捨て去らずには説得力がありません。
簡単に、のつもりが長くなってもうて恐縮ですが、要するに建物には罪がない、ということです。
「朝鮮銀行」も実に素晴らしいですね。「三越」も好きです。
昔、新羅南部の港町・P山市の埠頭近くにP山税関という、実に素晴らしい西洋式の建物がありました。
ところが、当時の野蛮政権が、交通に邪魔だという理由で、学者らの反対の声をモノともせず、ドカ〜ンでした。
ある日植民地政策が終わりをつげて新しい生活となりますが、
かといって長い間生活習慣の中に入り込んでいたものを全部捨て去ってしまって別の生活ということも出来ないのではないでしょうか?
徐々に徐々に変化していって・・あるものは融合して気付かないうちに以前とはかなり変っていく・・文化はそういう変り方をするのではないかなと思います。
エグザクトリです!大韓人にも段々わかってくるのではないでしょうか。
司馬遼太郎さんは「民族」とは本来固有のものかも知れないが、表層的には「暮らしぶり」であるというような意味のことをおっしゃっていたと思いますが、確かにそうだなあと思います。
先日、某国営テレビで姜尚中氏が、「民族性」は信用しないといってましたが、
まさに民族=暮らし、だと思います。例えばウリマルが解らない在日や在豪州のコリアンでも、
共通の食べ物の話で、なんとなく同胞的つながりを薄っすらと感じたりしますね。(あれっ?民族とかアイデンティティとかの話になると頭が混乱してまうわ)
そして気温がたいぶ下がり、裸の野人からシャツを着た文化人に変身しました。
旧朝鮮総督府のビルはキョンボックンに密着して塞ぐように建っていましたので、
ぼくは壊してくれて本当によかったとおもっていますが、
韓国の文化を侵食しない範囲で残っているこういう建造物はやはり残してほしいなあと思っています。
高校生の従妹と参鶏湯を食べに「土俗村」に行く途中、旧総督府を眺めながら、激しく議論したことがあります。
もちろん、従妹は壊し賛成、わいは反対。
簡単に申せば、通学(小生、高校からはソウル)で毎日その前を通ったりして、
その建物自体に愛着を持っていたのが第一。見る度に、その威容に圧倒されたものです。
次は、じゃ、壊したら、それの代わりに我々を圧倒してくれる建物、もしくは、それを補うナニかを精神的支柱として我々は持ち合わせているのかという疑問でした。
あの建物を壊すという物理的な行為で、果たしてどれだけ「日帝時代」の清算につながるんだろう。
イルボンが朝鮮に入り、その経緯はどうあれ、日韓が35年間共存していた事実は消せません。
あの建物はとっくに違和感なく大韓の一部になり切っていたわけです。それに屈辱を感じる人は、
海苔巻きも、オデンも、サシミも、ウドンも、そーめんも、学ランも、漢字語も・・・ありとあらゆるイルボン文化を捨て去らずには説得力がありません。
簡単に、のつもりが長くなってもうて恐縮ですが、要するに建物には罪がない、ということです。
「朝鮮銀行」も実に素晴らしいですね。「三越」も好きです。
昔、新羅南部の港町・P山市の埠頭近くにP山税関という、実に素晴らしい西洋式の建物がありました。
ところが、当時の野蛮政権が、交通に邪魔だという理由で、学者らの反対の声をモノともせず、ドカ〜ンでした。
ある日植民地政策が終わりをつげて新しい生活となりますが、
かといって長い間生活習慣の中に入り込んでいたものを全部捨て去ってしまって別の生活ということも出来ないのではないでしょうか?
徐々に徐々に変化していって・・あるものは融合して気付かないうちに以前とはかなり変っていく・・文化はそういう変り方をするのではないかなと思います。
エグザクトリです!大韓人にも段々わかってくるのではないでしょうか。
司馬遼太郎さんは「民族」とは本来固有のものかも知れないが、表層的には「暮らしぶり」であるというような意味のことをおっしゃっていたと思いますが、確かにそうだなあと思います。
先日、某国営テレビで姜尚中氏が、「民族性」は信用しないといってましたが、
まさに民族=暮らし、だと思います。例えばウリマルが解らない在日や在豪州のコリアンでも、
共通の食べ物の話で、なんとなく同胞的つながりを薄っすらと感じたりしますね。(あれっ?民族とかアイデンティティとかの話になると頭が混乱してまうわ)
これは メッセージ 526 (for_someone_exactly_like_you さん)への返信です.