とおりすがりですが
投稿者: leprechaun_crossing 投稿日時: 2001/07/05 16:07 投稿番号: [7429 / 35788]
朝鮮からの陶工の影響は、磁器の製法が入ったこと、登り窯が使われるようになったことだと思います。
当時の日本では、ものにより陶器がとほうもない値段で評価され(信長がある陶器を城一つ、約5億円と評価したことがあります)、陶器製作の技術を持っていなかった西国の大名が朝鮮出兵の際に陶磁器製作の技術を取得することに熱心になったわけです。
鍋島藩は朝鮮からの陶工を得て、磁器製作を始めるわけですが、有田焼というのはデザインに関しては、中国風の焼き物です。当時戦乱のため製造が極端におちた中国の景徳鎮にかわって、ヨーロッパなどへ輸出がさかんになったわけですが、ヨーロッパ人が好んだのもそれが中国風のデザインであったため、景徳鎮と同様の評価をあたえられたからです。
この絵つけについては、中国の商人から学んだという説や鄭成功が関わったという説がありますが、いずれにせよ中国人から学んだものです。
もちろん焼き物自体としては、うつわ製作の技術がもっとも重要ですから朝鮮人陶工の役割は重要ですし、また柿右衛門様式のように日本人の技術も寄与してます。
ところで、当時藤原惺窩と関わりの合った朝鮮人儒者が、日本人はきたならしい陶器に高額の金を払っていると書いてたと思いますが、当時の朝鮮人の美意識と日本人の美意識とはずいぶん違いがありますね。
日本では美術工芸品としての陶磁器として磁器も陶器も評価されていますが、南大門市場などで韓国人が買っているものは、昔風の青磁や白磁のようです(天目茶碗のコピーは日本人観光客向けでしょう?)。今でもやはり美意識が異なるのでしょうか。
これは メッセージ 7418 (bakajaps さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a4ja4bcffckdcbfma4oa1a27ya4oa4la4ka4na4aba1a9_1/7429.html