続いた。
投稿者: blue_zabu 投稿日時: 2001/07/02 09:53 投稿番号: [6936 / 35788]
日帝の朝鮮強占初期、初代「朝鮮総督」寺内は「朝鮮人はわが日本の法律に服従するか、さもなくば死ぬべし」と公公然にしゃべりまくった。これは当時の朝鮮人民に対する日帝の、最も暴悪な殺人「指令」であり、植民地殺人統治の基本方式だった。
日帝はこのような強盗的論理にしたがって、朝鮮を非法的に強占した全期間に、数百万人の無辜の朝鮮人民を手当たりしだいに逮捕、投獄、虐殺する蛮行を敢行した。朝鮮人民に対する日帝の弾圧と虐殺蛮行は、1919年3・1蜂起のとき、さらに露骨化した。日帝はこの年の3月1日から5月末までの3カ月間に、7、500余人の朝鮮人民、愛国者を無残に虐殺し、1万5900余人に負傷を負わせ、4万6900余人を検挙したのを始め、蜂起の全期間にわたって、無慮数万人を殺傷した。日帝は、朝鮮国内のみならす、中国東北地方、日本などの地で、朝鮮人民に対する弾圧と虐殺に狂奔した。
1920年10月初め、日帝は自国の官憲と居留民を「保護」するという口実のもとに、ナナム(?)第19師団を始めとする多くの兵力を動員し、間島地方で延べ3カ月間も、血生臭い殺戮蛮行を敢行した。そうして日帝は、1920年「間島大討伐」(「庚申年討伐」)と呼ばれる討伐で、無慮3万余人の朝鮮人たちを殺害した。1923年「関東大震災」における日帝の虐殺蛮行は、いまも多くの人々の記憶の中に活き活きと残っている。
1923年9月1日、日本の関東地方で大地震が起こると、当時の日本政府内務省、水野錬太郎は、在日朝鮮人たちを弾圧するためのでたらめな噂を広め、朝鮮人を虐殺することに関する殺人指令を全国各地に下し、これとともに日本の反動勢力は、「戒厳司令部」といったものまででっちあげ、軍隊、警察、テロ団、「自警団」などを煽って朝鮮人を手当たりしだいに殺害しまくった。こうして当時、東京だけでも9月1日から18日までの間に6、160人に達する朝鮮人が無残に虐殺されたのをはじめ、日本各地で2万3000余人の在日朝鮮人が殺害された。こうした殺人蛮行は、日帝が強行した殺人大罪のなかでもその一部にすきない。
日帝植民主義者たちが朝鮮人民に敢行した野獣的虐殺蛮行について、当時のある記録は「……日本人が数千数万の朝鮮良民に対して敢行した、そのような乱打と悪刑は、あまりにも凶悪、残酷で、人の耳で聞いても信じられないほどの、人の意思では理解することのできない行為となった。日本人は、このような極度の凶悪な蛮行を敢行しても、むしろそれで足りず、それ以上のもっと苛酷な方法がないのが残念に思っているほどだ」(「韓国独立運動之血史」120〜123ページ)と書き、日帝御用学者シノブ・サブロウ(信三郎?)は「日本憲兵は、とても正視できないほど残酷な弾圧に興奮した。日本憲兵の暴悪さは名状しがたいもので、銃剣で刺し殺し首をぶら下げて処刑した」(「大政(?)政治史」東京1955年841ページ)と告白するほかなかった。
当時のある外国人は、憤怒に満ちた文章で、朝鮮人民に対する日帝の野獣的蛮行を糾弾し、「冷静に考えるとき、世界的に他人の国を滅亡させたものは数多あるが、だれがこのような歴史上類例のない残酷な方法を適用した者がいたろうか? このような人類の仇、国際的毒蛇は、なんぴとを問わず、すべて立ち上がってこれを追い出す責任がある」と訴えた。このような内外の世論は、あまりにも人間の想像を絶した日帝のファッショ的な暴圧と虐殺蛮行に対する吐露であり、糾弾だった。まことに日帝が朝鮮に敢行した殺人大罪は、その規模と残忍性において、古今東西の侵略者と戦争者において類例を見いだしがたい、最も野蛮的な人権蹂躪行為であり、殺人大罪だった。
(以下続く)
日帝はこのような強盗的論理にしたがって、朝鮮を非法的に強占した全期間に、数百万人の無辜の朝鮮人民を手当たりしだいに逮捕、投獄、虐殺する蛮行を敢行した。朝鮮人民に対する日帝の弾圧と虐殺蛮行は、1919年3・1蜂起のとき、さらに露骨化した。日帝はこの年の3月1日から5月末までの3カ月間に、7、500余人の朝鮮人民、愛国者を無残に虐殺し、1万5900余人に負傷を負わせ、4万6900余人を検挙したのを始め、蜂起の全期間にわたって、無慮数万人を殺傷した。日帝は、朝鮮国内のみならす、中国東北地方、日本などの地で、朝鮮人民に対する弾圧と虐殺に狂奔した。
1920年10月初め、日帝は自国の官憲と居留民を「保護」するという口実のもとに、ナナム(?)第19師団を始めとする多くの兵力を動員し、間島地方で延べ3カ月間も、血生臭い殺戮蛮行を敢行した。そうして日帝は、1920年「間島大討伐」(「庚申年討伐」)と呼ばれる討伐で、無慮3万余人の朝鮮人たちを殺害した。1923年「関東大震災」における日帝の虐殺蛮行は、いまも多くの人々の記憶の中に活き活きと残っている。
1923年9月1日、日本の関東地方で大地震が起こると、当時の日本政府内務省、水野錬太郎は、在日朝鮮人たちを弾圧するためのでたらめな噂を広め、朝鮮人を虐殺することに関する殺人指令を全国各地に下し、これとともに日本の反動勢力は、「戒厳司令部」といったものまででっちあげ、軍隊、警察、テロ団、「自警団」などを煽って朝鮮人を手当たりしだいに殺害しまくった。こうして当時、東京だけでも9月1日から18日までの間に6、160人に達する朝鮮人が無残に虐殺されたのをはじめ、日本各地で2万3000余人の在日朝鮮人が殺害された。こうした殺人蛮行は、日帝が強行した殺人大罪のなかでもその一部にすきない。
日帝植民主義者たちが朝鮮人民に敢行した野獣的虐殺蛮行について、当時のある記録は「……日本人が数千数万の朝鮮良民に対して敢行した、そのような乱打と悪刑は、あまりにも凶悪、残酷で、人の耳で聞いても信じられないほどの、人の意思では理解することのできない行為となった。日本人は、このような極度の凶悪な蛮行を敢行しても、むしろそれで足りず、それ以上のもっと苛酷な方法がないのが残念に思っているほどだ」(「韓国独立運動之血史」120〜123ページ)と書き、日帝御用学者シノブ・サブロウ(信三郎?)は「日本憲兵は、とても正視できないほど残酷な弾圧に興奮した。日本憲兵の暴悪さは名状しがたいもので、銃剣で刺し殺し首をぶら下げて処刑した」(「大政(?)政治史」東京1955年841ページ)と告白するほかなかった。
当時のある外国人は、憤怒に満ちた文章で、朝鮮人民に対する日帝の野獣的蛮行を糾弾し、「冷静に考えるとき、世界的に他人の国を滅亡させたものは数多あるが、だれがこのような歴史上類例のない残酷な方法を適用した者がいたろうか? このような人類の仇、国際的毒蛇は、なんぴとを問わず、すべて立ち上がってこれを追い出す責任がある」と訴えた。このような内外の世論は、あまりにも人間の想像を絶した日帝のファッショ的な暴圧と虐殺蛮行に対する吐露であり、糾弾だった。まことに日帝が朝鮮に敢行した殺人大罪は、その規模と残忍性において、古今東西の侵略者と戦争者において類例を見いだしがたい、最も野蛮的な人権蹂躪行為であり、殺人大罪だった。
(以下続く)
これは メッセージ 6935 (blue_zabu さん)への返信です.