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被爆証言:終戦知らされず犠牲者の遺体処理

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2008/09/24 22:53 投稿番号: [35595 / 35788]
  韓国人元兵士・金興銖さん来広   /広島

  ◇原爆症認定申請へ

  原爆投下後の広島市内で、終戦を知らされずに道路整備や死体処理などに従事していた旧日本軍の朝鮮人部隊があった。部隊員125人は旧陸軍中部第8876部隊に所属。その生き残りの韓国人元兵士が原爆症認定申請のために来広し、23日、中区で被爆証言をした。【矢追健介】

  来広したのは金興銖さん(84)。21歳の時に徴兵された。船と鉄道を乗り継いで広島へ来て、坑道堀りなどに従事した。金さんによると、部隊員125人中、今では5人しか生き残っていないという。

  1945年8月6日朝、部隊が宇品港(南区)で移動用トラックを待っていた時、B29が飛んできた。「おい、落下傘だ」。空から落ちてくる爆弾を見た時、空が急に赤くなり、顔全体が熱くなった。思わず建物に飛び込むと爆音が聞こえた。外に出ると、キノコ雲が上がるのが見えた。人を乗せたトラックがどこからともなく現れた。みんな真っ黒になり、皮膚が垂れ下がっていた。

  その後、トラックは来ず、歩いて広島駅(南区)へ。列車は転がり、駅舎は破壊されていた。死体だらけの町に、金庫とくみ上げポンプが多く焼け残っているのが印象的だった。八丁堀、紙屋町、本通……大通りで死体処理などにあたったが、8月15日の終戦を迎えても教えてもらえず、そのまま21日午前まで従事していた。その後、「朝鮮人兵士に反乱の恐れあり」とされたのか、部隊の兵士は帰国させられた。

  金さんは帰国後、銀行員として働き、93年に被爆者健康手帳を取得。現在は胃がんを患っており、26日には広島市役所に原爆症認定申請のために書類を提出した後、平和記念公園内の追悼平和祈念館(中区)で証言ビデオの収録をする。

  原爆投下当時、広島市内に居住していた韓国原爆被害者協会副会長の韓坂介さん(71)も原爆症認定申請のために金さんと一緒に来広し、自身の被爆体験を語った。

毎日新聞   2008年9月24日   地方版

http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20080924ddlk34040312000c.html
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