ながいっす
投稿者: toshikun_ca 投稿日時: 2003/01/26 14:58 投稿番号: [21372 / 35788]
>そこで言う「朝鮮民族」とは何をさしますか?
百済も新羅も建国当時は朝鮮族ではなかったでしょう?
そう、この言葉が聞きたかったんです、直接に百済や新羅の建国当時に民族の概念なんてないとは聞きづらかったんです。まさに、そのとおりです。この百済や新羅の時代にまだ民族という概念はなかったと思います、そして高句麗はあくまで「過去」の王朝である。つまり、僕が言いたいのは、高句麗は勢力範囲は今の北朝鮮の来た半分から満州地方にかけてですよね、だから僕的には北朝鮮と今の中国の東北部の人が「自分たちは高句麗の子孫だ」という権利があると思います。
>高麗にしても李朝にしても国土政策として北方領土を取り戻すというものが(北進政策)ありました
この「取り戻す」というものなんですが、なぜに「取り戻す」と思ったのですか?いつの時代でもどこの国でも領土を拡大しようとするのは常識です。そして高麗が領土を拡大しようとして契丹や女真と戦ったのを、「取り戻そうとした」とはいきなりならなくないですか?
>高句麗系である多くの渤海遺民が多数流れ込んで来ており王建は彼らを大事にしたのですよ。張氏や催(ニンベンの無いやつ)氏など武人が代表的なもの。
どこの国でも遺民を受け入れようとする、日本が百済の遺民を受け入れたように。遺民を受け入れたからといって、あなたが遠回しで意味してる「高句麗系の渤海遺民を受け入れたのは同一民族だからだ」とはならないと思いますね。前にも書いたとおり、高麗は最初は非常に成功した国だったと思います、ヤンパン制度も理論的に考えたら非常にいい制度です。つまり、高麗の後期や李朝の時代に人々は中華思想をさらに強く受け、北方民族や日本民族を蛮族だといって軽蔑しましたよね、しかし、王建の時代や高句麗初期はやはり中国文化に対して独立色をつよめようとしたはずです。なぜに僕がそう考えるかは、もし王建が高麗後期の李朝時代の貴族のように中華主義にどっぷり浸かっていたら、多くの戦を勝ち抜いてまで独立を目指さなかったでしょう。
>高句麗ですが一般的に半島史に組み込まれますよね、地理的にも関連してるし
これは、中国の政府が渤海について研究を今進め始めた段階なので、もしいろいろ渤海についてわかってきたら、たぶん中国東北地方に組み込まれるんじゃないかと思います。
>ちなみにシブさんが「高句麗」と言うのはKoreaと言う語は高麗から来ていて、その高麗は高句麗を引き継いだという意があるからでしょう。
高句麗は英語でKoguryoです。
>統一新羅の頃は日本の貴族が新羅の物品を買いあさってたそうですね(笑
日本はどこの国とでも交易したし、美しいものは何でも買ったと思います。買い占めたというのなら、かなりの数が残っているはずです。でも実際はそんな残ってない。正倉院に保管されているものも朝鮮のものが占める割合はそんな高くない。それに統一新羅の時代は日本がちょうど遣唐使などを廃止して国風文化が咲き始めた時代です。これがポイントです。文化が咲き始めたときは、普通のその咲き始めた文化をもっと伸ばそうとするはず。もし統一新羅の時代が国風文化が完成した時代なら、物珍しさで買っていくかもしれません。でも真実はちがう、問ういる新羅の時代はちょうど日本が国風文化を咲かせ始めた時代ですから、買い占めたということはないです。
百済も新羅も建国当時は朝鮮族ではなかったでしょう?
そう、この言葉が聞きたかったんです、直接に百済や新羅の建国当時に民族の概念なんてないとは聞きづらかったんです。まさに、そのとおりです。この百済や新羅の時代にまだ民族という概念はなかったと思います、そして高句麗はあくまで「過去」の王朝である。つまり、僕が言いたいのは、高句麗は勢力範囲は今の北朝鮮の来た半分から満州地方にかけてですよね、だから僕的には北朝鮮と今の中国の東北部の人が「自分たちは高句麗の子孫だ」という権利があると思います。
>高麗にしても李朝にしても国土政策として北方領土を取り戻すというものが(北進政策)ありました
この「取り戻す」というものなんですが、なぜに「取り戻す」と思ったのですか?いつの時代でもどこの国でも領土を拡大しようとするのは常識です。そして高麗が領土を拡大しようとして契丹や女真と戦ったのを、「取り戻そうとした」とはいきなりならなくないですか?
>高句麗系である多くの渤海遺民が多数流れ込んで来ており王建は彼らを大事にしたのですよ。張氏や催(ニンベンの無いやつ)氏など武人が代表的なもの。
どこの国でも遺民を受け入れようとする、日本が百済の遺民を受け入れたように。遺民を受け入れたからといって、あなたが遠回しで意味してる「高句麗系の渤海遺民を受け入れたのは同一民族だからだ」とはならないと思いますね。前にも書いたとおり、高麗は最初は非常に成功した国だったと思います、ヤンパン制度も理論的に考えたら非常にいい制度です。つまり、高麗の後期や李朝の時代に人々は中華思想をさらに強く受け、北方民族や日本民族を蛮族だといって軽蔑しましたよね、しかし、王建の時代や高句麗初期はやはり中国文化に対して独立色をつよめようとしたはずです。なぜに僕がそう考えるかは、もし王建が高麗後期の李朝時代の貴族のように中華主義にどっぷり浸かっていたら、多くの戦を勝ち抜いてまで独立を目指さなかったでしょう。
>高句麗ですが一般的に半島史に組み込まれますよね、地理的にも関連してるし
これは、中国の政府が渤海について研究を今進め始めた段階なので、もしいろいろ渤海についてわかってきたら、たぶん中国東北地方に組み込まれるんじゃないかと思います。
>ちなみにシブさんが「高句麗」と言うのはKoreaと言う語は高麗から来ていて、その高麗は高句麗を引き継いだという意があるからでしょう。
高句麗は英語でKoguryoです。
>統一新羅の頃は日本の貴族が新羅の物品を買いあさってたそうですね(笑
日本はどこの国とでも交易したし、美しいものは何でも買ったと思います。買い占めたというのなら、かなりの数が残っているはずです。でも実際はそんな残ってない。正倉院に保管されているものも朝鮮のものが占める割合はそんな高くない。それに統一新羅の時代は日本がちょうど遣唐使などを廃止して国風文化が咲き始めた時代です。これがポイントです。文化が咲き始めたときは、普通のその咲き始めた文化をもっと伸ばそうとするはず。もし統一新羅の時代が国風文化が完成した時代なら、物珍しさで買っていくかもしれません。でも真実はちがう、問ういる新羅の時代はちょうど日本が国風文化を咲かせ始めた時代ですから、買い占めたということはないです。
これは メッセージ 21370 (bianchi20022002 さん)への返信です.