国書改竄
投稿者: ledzep9111 投稿日時: 2001/03/31 21:37 投稿番号: [2106 / 35788]
これの事でしょ
柳川事件
慶長11年(1606年),朝鮮国が講和のために出した条件の1つである日本側から先に国書を送ることは,当時の外交慣習からすると日本側が降伏することを意味した。
幕府より国交回復の命を受けていた対馬藩は,この条件を幕府は呑めないと判断し,内密に家康の国書を偽造のうえ,朝鮮国に送り,その後も,朝鮮側の国書を偽造するなど,両国の国書改ざんを続けた。
主家宗氏と対立した対馬藩の重臣柳川調興が宗氏の国書改ざんを幕府に直訴したが,朝鮮との国交回復の結果を重視した将軍家光は,寛永12年(1635年),宗氏のこれまで身分・領地を安堵する一方,調興は津軽へ外交僧規伯玄方は盛岡に流罪とした。
この事件後,朝鮮との外交を監視するため,対馬藩の外交文書を取り扱う機関である以酊庵に輪番で京都五山の僧を常駐させることとなった。
これは メッセージ 2099 (korogane1999 さん)への返信です.
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