>>法隆寺
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2002/07/10 09:12 投稿番号: [19538 / 35788]
>>法隆寺が焼失した後,再建されたときに描かれた
>>ものなので,彼が描くことは不可能です.
>
>井沢元彦あたりが指摘してますな。
そのようですね.「NOと言える教科書・真実の日韓関係史」でこの話題が
出ているそうです.
>まあ、焼失・再建があったかどうかの議論については、
>一度は再建されたということでほぼ決着したように
>思われたけど、最近また再燃しているらしいよ。
そうなんですか.まあ,それでも態勢に影響無しですね.
韓国では,法隆寺金堂壁画は高句麗出身の僧侶,雲徴によって描かれたと
いうことになっていますが,その根拠は何も無いんですよ.日本書紀に
よると,雲徴は610年に百済を経て日本に渡り,彩色紙墨を能くした人物
(絵の具と紙の製法を伝えた)としか書いていません.なので,
弘法は達筆だ→弘法が朝鮮に渡った頃の,立派な掛軸が残っている
→それを書いたのは弘法だ
こんなレベルの話です.
学会では,金堂壁画は一人の手法ではなく,凹凸法,彩色法,人物の描写
等が西域の技法を基礎として唐風に変形したという特性を反映していること
から,7世紀後半の白鳳時代に描かれたものとの推定が有力だそうです.
これは メッセージ 19526 (Televicco さん)への返信です.
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