なぜ日本人は、嫌われるのか?

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

re>日本はビルマまで行っていません

投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/07/06 16:48 投稿番号: [19361 / 35788]
>日本軍は「インパール作戦」というのに失敗しまして、タイ・ビルマ国境の山中までしか行っていません。ですから、日本の軍政下に置かれたことは無いはずです。

君、何をおろかなことをいっているのかね。インパールと言うのは東に伸びたインドの領土の、マニプール州の州都の名前だよ。そのあたり一体はナガランドと言われているが。

ビルマ国境とインドのナガランドを分けるのがチンドウィン川。日本軍はこれを超えてイギリス領インドに侵攻したんだよ。地図を見たまえ。ビルマどころか、インドにまでいっているんだよ、日本軍は。

日本軍は太平洋戦争の勃発と同時に、南方軍(寺内寿一司令官)の第五師団と第33師団が一気にラングーンを攻め、イギリス軍を蹴散らしている。この両師団を第15軍という。

この第15軍がその後増強され、インド国民軍(チャンドラ・ボース指揮)、ビルマ独立軍(アウンサン)が加わって、総兵力30万にもなった。

インパール作戦を見てみると、大東亜戦争の性格がわかるね。

この第15軍が拡大されて、ビルマ方面軍になったのが昭和18年の3月。

インパール作戦は、西をイギリス、東北方面をアメリカ軍に支援された中国軍に圧迫された日本軍が、逆にこちらから打って出て、局面打開を図ろうとしたもの。

それに加えて、インド国民軍のチャンドラ・ボースが亡命政府の地を、太平洋の島ではなくて、インド国内に設けたいと東条に強く要請した。このボースの熱意に打たれた東条が決めたと言う面はあるね。この意味ではインパール作戦は、一種義理で始めた作戦。他国への義理で大作戦を始めるような国は日本だけだよ。

インパール作戦というけど、実際に激戦が行われたのはその北方のコヒマというところ。

この作戦中、日本軍は学校をもうけ、近隣の子どもや青年たちがあつまってきた。そのためこの地のひとで今も日本語を話せる人が多いなどと言うのは驚きだね。日本軍がいたのはわずか数ヶ月。その間に学校まで作るとは日本軍というのはほんとにおもしろい。インドに学校を作る日本軍。これが、この戦争がどんな戦争だったかを示している。今も日本語を話すナガランドの人たち、と言う話は森田勇造の「秘境ナガ高地探検記」にのっている。

地元の人たちは、ここでの戦争を「日本戦争」とよんでいるらしい。   メータという地元のひとでインドのデーリーで働いている人が言うには、地元の人は、あの戦争はアジアとヨーロッパの戦争だった、といっているらしい。

東のビルマに向けて敗走する日本軍に食料を与えてジャングルまで見送ってくれたと言う話もある。文字をもたない地元の人たちは、日本軍を描いた口伝の歌をつくったらしい。「東のビルマから日本人がたくさんやってきた・・・顔はわたしたちににていた・・・」(ナガランド、インパールの人たちはビルマ・雲南語のモンゴロイド)

「秘録・大東亜戦史」(富士書苑)という本にはインド独立軍のインド人兵士たちが日本軍といっしょになってイギリス軍と戦った話がでてくる。

ビルマで独立30人志士(その中心人物がアウンサン)と呼ばれる連中を訓練したのが
鈴木大佐の「南機関」。
日本にやって来た後、海南島で軍事訓練をうけ、のち、日本軍とともにビルマに侵攻、いやビルマに帰還といったほうがいいか。

アウンサンたちは独立を約束した日本軍がなかなか独立させないのでいらいらしたと言う面はある。アウンサンはもともと社会主義者。

アウンサンが日本に逆らったのはインパール作戦中止のあとだな。

しかしビルマの日本軍に対する恩恵の気持ちは消えることなく、南機関の生存者たちには神のごとく接するらしい。(アウンサン将軍と30人の志士)(中央公論)。何度も出てきたように、ビルマ国軍の行進曲は日本の軍艦マーチ。これがビルマの日本に対する気持ちをあらわしていよう。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)