なぜ
投稿者: tenoz 投稿日時: 2001/03/04 17:49 投稿番号: [1679 / 35788]
>そう思わせる言動を取る人も大勢います。しかし、これは日本人にも言えることです。人それぞれではないかと思います。例えば、偉そうなこと言うつもりではないけど私の場合韓国について認めることは認めています。
個人の言動というより、国全体の動き方がそうだと思います。特に「作る会」の歴史教科書については。どんなことが書いてあるのかはっきり分からないうちから、予断と思いこみで批判する。批判するのは教科書ができあがってからするべきでしょう。また歴史というのは考察によって解釈が変わる場合もあります。これは当たり前の話しであって、日本人はみなそのことを知っています。しかし韓国は事、日韓併合時代から第二次大戦の日本の行動となると、自分たちの意に沿わない日本人をチョッパリ呼ばわりする。その辺を日本人は不信に思うのです。
>>あと日本人をチョッパリ呼ばわりするのが、誇りある韓国人ですか?。前述のように僕は韓国のやり方に対して疑問、批判を持っていますが、韓国人を言葉で辱める意図はありません。
>認めます。それは悪いことです。
日本人も私たちのこと“朝鮮人、鮮人、チョンコ”等と呼んでますよね。“チョッパリ”は日本人の見た目をからかう言葉ですが、“鮮人”は人を軽蔑する意味ですよね。いずれにせよお互い様です。
朝鮮人は差別語ですか?。それは民族的にそうだからそう読んでいるのです。それに朝鮮民主主義人民共和国の人の立場は?。
後の二つは日本では殆ど死語になっています。確かにこんなことを言う日本人もいますが、少なくとも公の場で言うと日本では批判を受けるし、恥を掻くことになります。良識ある人はしません。でも韓国は市民運動をするような本来であれば善良な市民が、差別語を使ったりします。日本では恥になりますが、韓国国内ではそうではないようです。この辺は大きく違うところ。
>>彼の行動を人間固有の「犠牲精神」として考えることもしません。「日本人を助けようとして死ぬなんて無駄死にだ」
>韓国現地で一度も聴いたことが有りません。
先日日本のTBSというテレビ局の番組でで、日本在住の韓国人がこの件に関し取材するため韓国へ行きました。その時の該当インタビューでこのような意見を言う人がいたのです。「ああ、やっぱりそうなのか」と思いました。
疑問はまだあります。日本人が太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼ぶと怒るのはなぜですか?。僕らの世代は太平洋戦争と習いましたがそれは太平洋を挟んで日本と戦ったアメリカの価値観による判断で、当時日本の支配地域、戦域は現在のパプアニューギニアからミャンマー辺りまでかなりの広範囲になっています。日本からしてみたら「大東亜戦争」の方が呼び方として合理的でしょう。イギリス人からしてみれば第二次世界大戦のアジア戦線とでもなるでしょうし。戦争の呼び名が当事国によって変わるのは自然なことで、アメリカが太平洋戦争、若しくは第二次世界大戦と呼ぶだろうし、日本は大東亜戦争でかまわないはず。これは帝国主義とか軍国主義などの思想信条とは切り離して考えるべきことですが、韓国は日本が「大東亜戦争」といっただけで「日帝チョッパリ」呼ばわりです。この辺からも韓国が国として日本を見下しているのは明らかでしょう。「チョッパリは大韓民国の歴史価値観に隷従すべし」と国としていっているようなものです。日本人にも学問を行う自由があり、学問で研究されたことは合理的であればその方へ向かうのは当然。歴史もその通りです。なぜ韓国人は日本人が歴史に疑いを持って調べることをバカにするのでしょうか?。
個人の言動というより、国全体の動き方がそうだと思います。特に「作る会」の歴史教科書については。どんなことが書いてあるのかはっきり分からないうちから、予断と思いこみで批判する。批判するのは教科書ができあがってからするべきでしょう。また歴史というのは考察によって解釈が変わる場合もあります。これは当たり前の話しであって、日本人はみなそのことを知っています。しかし韓国は事、日韓併合時代から第二次大戦の日本の行動となると、自分たちの意に沿わない日本人をチョッパリ呼ばわりする。その辺を日本人は不信に思うのです。
>>あと日本人をチョッパリ呼ばわりするのが、誇りある韓国人ですか?。前述のように僕は韓国のやり方に対して疑問、批判を持っていますが、韓国人を言葉で辱める意図はありません。
>認めます。それは悪いことです。
日本人も私たちのこと“朝鮮人、鮮人、チョンコ”等と呼んでますよね。“チョッパリ”は日本人の見た目をからかう言葉ですが、“鮮人”は人を軽蔑する意味ですよね。いずれにせよお互い様です。
朝鮮人は差別語ですか?。それは民族的にそうだからそう読んでいるのです。それに朝鮮民主主義人民共和国の人の立場は?。
後の二つは日本では殆ど死語になっています。確かにこんなことを言う日本人もいますが、少なくとも公の場で言うと日本では批判を受けるし、恥を掻くことになります。良識ある人はしません。でも韓国は市民運動をするような本来であれば善良な市民が、差別語を使ったりします。日本では恥になりますが、韓国国内ではそうではないようです。この辺は大きく違うところ。
>>彼の行動を人間固有の「犠牲精神」として考えることもしません。「日本人を助けようとして死ぬなんて無駄死にだ」
>韓国現地で一度も聴いたことが有りません。
先日日本のTBSというテレビ局の番組でで、日本在住の韓国人がこの件に関し取材するため韓国へ行きました。その時の該当インタビューでこのような意見を言う人がいたのです。「ああ、やっぱりそうなのか」と思いました。
疑問はまだあります。日本人が太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼ぶと怒るのはなぜですか?。僕らの世代は太平洋戦争と習いましたがそれは太平洋を挟んで日本と戦ったアメリカの価値観による判断で、当時日本の支配地域、戦域は現在のパプアニューギニアからミャンマー辺りまでかなりの広範囲になっています。日本からしてみたら「大東亜戦争」の方が呼び方として合理的でしょう。イギリス人からしてみれば第二次世界大戦のアジア戦線とでもなるでしょうし。戦争の呼び名が当事国によって変わるのは自然なことで、アメリカが太平洋戦争、若しくは第二次世界大戦と呼ぶだろうし、日本は大東亜戦争でかまわないはず。これは帝国主義とか軍国主義などの思想信条とは切り離して考えるべきことですが、韓国は日本が「大東亜戦争」といっただけで「日帝チョッパリ」呼ばわりです。この辺からも韓国が国として日本を見下しているのは明らかでしょう。「チョッパリは大韓民国の歴史価値観に隷従すべし」と国としていっているようなものです。日本人にも学問を行う自由があり、学問で研究されたことは合理的であればその方へ向かうのは当然。歴史もその通りです。なぜ韓国人は日本人が歴史に疑いを持って調べることをバカにするのでしょうか?。
これは メッセージ 1677 (shibural7 さん)への返信です.